松戸の歴史    ホーム

 松戸に人が住み始めたのは約3万年前、旧石器時代です。

 富士・箱根方面の火山活動によって生じた火山灰が西風に運ばれ、成田層の上に堆積して、関東台地が出現したものと推定されている。
 その関東ローム層(赤土とよばれる)の中から、日本で最初の人類生活のいとなみを伝える遺物が発見されている。
 松戸市の子和清水(常盤平・旧.日暮・五香六実)・市川市堀の内 丸山 今島田・銚子市粟島台の遺跡から出土した大型の打製石器は、旧石器時代のものとして確認されている。

 縄文時代(13,000〜2,300年前)には台地の下まで海が入り込み、全国的にも有名で、出土品が国の重要文化財にも指定されている。縄文前期に幸田、縄文後期には平賀や八ヶ崎、縄文晩期は上本郷などからの貝塚をはじめとして、数多くの(100を超える)遺跡が確認されています。


 弥生時代以降の遺跡数は少なく、古墳時代には河原塚古墳などが築かれた。

 平安時代に、今の市川市国分付近に下総(しもうさ)国の国府が置かれ、常陸へ向かう官道が松戸に通っていた。小野遺跡の「カタイ金具」は松戸が交通の要衝であったことを物語るものかもしれません?。

 太日河(ふとひがわ・現在の江戸川)の津(渡し場)でもあったことから、「馬津(うまつ)」とか「馬津郷(うまつさと)」と呼ばれていたといいます。それが「まつさと」になりやがて「まつど」になったのが松戸の地名の起こりだといわれています。また、更科日記の中では「まつさと」の名前で松戸が登場しています。

 鎌倉時代の下総国は、源頼朝の挙兵に功績があった千葉常胤(つねたね)が守護に任ぜられ、一族が各地に広まりました。

 「アジサイ寺」で知られる長谷山本土寺(ちょうこくさん・ほんどじ)にある日蓮直筆の「諸人御返事(しょにんごへんじ)」と「大学三郎御書(だいがくさぶろうごしょ)」の二つの文書と、1278年製作で県内二番目に古い釣り鐘は、国の重要文化財に指定されています。また武田二十四将の一人で、信玄・勝頼に仕え、後に徳川家康に仕えた秋山虎康の墓(市内最古の墓石)と、その娘で、家康の側室となり家康の五男・武田信吉を生んだ秋山夫人の墓もあります。

 馬橋にある臨済宗万満寺(まんまんじ)も鎌倉文化の影響を受けた寺で、1254年に建立されたといわれています。国の重要文化財である「阿(あ)」「吽(うん)」の仁王(金剛力士)像があり、その作者は不詳ですが力強い彫刻には定評があります。

 戦国時代になると、千葉氏の一族から出た高城(たかぎ)氏が大谷口に小金城を築き、東葛飾地方一帯を支配し、高城胤辰(たねたつ)の代には、有名な「国府台(こうのだい)の合戦」(1564年)で活躍するなど繁栄したが、1590年の豊臣秀吉の関東攻めによって、小金城は開城しました。

1591年 万満寺に秀吉の一銭切制札
    伊奈忠次関東郡代市川松戸房川三関吏
    小金3万石として武田信吉

1591年 家康万満寺に70石 本土寺に10石寄進 根本村鎮守を高城播磨再興

1594年 西蓮寺が下矢切に建つ

 胤辰の母は、夫の死後、髪を下ろし月庵桂林尼(げつあんけいりんに)と号し、小金城東側の鹿島神霊の横に庵を建立し、庵は後に慶林寺となって今に伝わっています。

江戸時代になると、幕府が水戸街道を整備し、松戸と小金は宿場町として繁栄します。現在の松戸郵便局の辺りには、大名の宿泊施設である本陣や脇本陣、一般人の宿である旅篭(はたご)が軒を並べていました。小金宿の旅篭「玉屋」は現存しており、当時の様子をしのばせております。

 一方、松戸の江戸川沿いには河岸(かし)「河の港」ができ、銚子方面でとれた鮮魚を江戸まで運ぶ中継基地として発展しました。

1609年 松戸川岸来迎寺(現平潟)創建

1611年 善照寺 松戸村向山より現在地に移転

1613年 西蓮寺 現在地に移転(松戸市松戸二丁目)

1614年 小金牧で野馬捕り8匹幕府へ


1626年 寛永3年 松戸神社創建 祭紀に御嶽大権現を称し祀る

1631年 老中より郡代宛て「百姓渡」覚書
      
松戸〜小向 矢切〜柴又 「矢切の渡し」の始まり

1657年  水戸光圀公が松戸神社に立寄られたとき、大銀杏の上の白鳥を射ようとして、従者に止められたが、光圀公は矢を放とうとしたところ、弓が中央から折れた。光圀公は折れた弓矢を奉納され、神前に陳謝してお帰りになった。(奉納した1739年の火災により焼失)  松戸神社縁起より

1676年 松戸新田・高塚新田成立

1690年 東漸寺梵鐘できる

1699年 松戸村 松戸町になる  (『改定新版 松戸の歴史案内』松下邦夫著)

1739年 松戸宿火災 御嶽社(現松戸神社)消失

1855年 安政2年 大地震で松戸神社1855拝殿倒壊 江戸大地震(藤田東湖圧死)

1864年 水戸浪人天狗党(史跡 上本郷 首切地蔵)

1855年 文久3年 松戸神社 今日にいたる

 常盤平・松飛台・五香・六実の一帯は、小金牧と呼ばれた幕府の直轄の放牧場でした。毎年3月には野馬捕りが行われ、良馬は幕府で使用し、ほかの馬は希望者に払い下げられました。幸谷の福昌寺にある絵馬には、野馬捕りの様子が描かれています。

 小金牧では、徳川将軍による御鹿(おしし)狩りが行われ、その様子を描いた錦絵も残っています。

(参考)松戸の文化財


明治
 明治02(1869)
五香・六実、入植開始されました。 松戸 金町関所廃止 スエズ運河開通

 明治05(1872)
松戸郵便取扱所、小金郵便取扱所開設されました。9月2日(官営鉄道)新橋-横浜 開業(蒸気)。

 明治06年(1873)
松戸市立中部小学校の開校松戸尋常小学校(現中部小学校)西蓮寺に開く

 明治11年(1878)
松戸駅(町)に郡役所東葛飾郡が置かれました。この役所は明治21年から大正12年の郡制廃止まで使用されました。

 明治12年(1879)
松戸警察署設置。

 明治15年(1882)
御嶽社を松戸神社とする


 明治16年(1883)
東京―成田間に往復乗合馬車開通。

 明治17年(1884)
松戸尋常小学校新築 (現伊勢丹松戸支店の場所)

 明治22年(1889)
町村制が施行され、松戸市域には松戸町・明(あきら)村・八柱村・馬橋(まばし)村・高木村・小金町が誕生しました。


 明治23年(1890)
2月25日、利根運河完成。

 明治26年(1893)
川崎銀行松戸支店開業


 明治27年(1894)
7月20日(総武鉄道)市川-船橋-千葉-佐倉 開業(蒸気)・12月9日本所-市川 開通

 明治29年(1896)
には田端
-松戸-我孫子-土浦間(日本鉄道滑C岸線)の鉄道が開通(松戸駅開設)

 明治31年(1898)
には海岸線(常磐線)全線開通し、馬橋駅が開設されました。馬橋に鞄穴給竝s開業

 明治33年(1900)
12月8日に(野田人車鉄道)野田町内 開業(人力)

 明治38(1905)
松戸競馬場が相模台に開設される。上野-田端間(日本鉄道海岸線)の鉄道が開通した。

 明治39年(1906)
11月1日に、国鉄日本鉄道を買収し常磐線とした。(日本鉄道が国有化される) 私立松戸中学校設立
松戸神社幣帛料供進される・・社殿内扁額 有栖川宮熾仁親王御染筆 天井絵画 扁額 谷文兆高弟 永湖(えいがい 神苑  3,500平方米  御神木  樹齢 700年 秋葉神社 水神社 三峰神社  稲荷神社 厳島神社 松尾神社 八坂神社 庚申社 浅間神社 金毘羅神社  八幡神社

 明治40年(1907)
9月1日  総武鉄道房総鉄道が国有化される
松戸尋常高等小学校

 明治42(1909)
県立園芸専門学校(現・千葉大学園芸学部)設立されました。9月29日(東葛人車鉄道)鎌ヶ谷-中山深町 開業(人力)・10月12日 国鉄線路名称制定で総武線総武本線に、房総線大網-東金は東金線に、海岸線常磐線に変更
松戸郵便局2丁目に新築移転

 明治43年(1910)
12月29日(常磐線)松戸-馬橋 複線化 木橋の葛飾橋(大倉組) 渡り初め
松戸郵便局に公衆電話 (写真で見る「松戸の歩み」松戸市HPより


 明治44年(1911)
北小金駅開設され、松戸−金町間に葛飾橋(木橋)が架設され、人々の生活にも大きな影響を与えました。
5月9日に柏-野田間(県営軽便鉄道)開通しました。北小金駅開設、葛飾橋(木橋)架設 

 明治45年(1912)
4月に北小金-柏間と、5月に柏-我孫子間の常磐線が複線化
をしました。


大正
 大正02年(1913)
4月19日に金町-松戸間と、12月に馬橋-北小金間の常磐線が複線化をしました。常磐線 上野〜我孫子間 複線
松戸市川間のバス営業許可 町村組合隔離病舎できる(前年コレラ流行)

 大正03年(1914)
県立園芸専門が県立高等園芸になる

 大正05年(1916)
3月14日に、馬橋−流山間の流山軽便鉄道が開通しました。

 大正07年(1918)
10月4日に、東葛人車鉄道 廃止

 大正08年(1919)
松戸実科高等女学校(現・県立松戸高校)設立・陸軍工兵学校が相模台(現・中央公園)に開設されました。
陸前浜街道が国道6号線となる 相模台に陸軍工兵学校開設 郡立松戸実科高女創立

 大正09(1920)
国道6号線道路認定されました。また、4月、県営軽便鉄道から千葉県鉄道名称変更されました。
松戸にタクシー業開業(渡辺自動車) 国道6号線道路認定


 大正10(1921)
千葉市制施行。

 大正11年(1922)
11月15日
馬橋−流山間流山軽便鉄道が流山軽便鉄道から流山鉄道に名称変更しました。

 大正12年(1923)
8月1日、柏-野田を千葉県鉄道から北総鉄道が譲渡、12月27日に北総鉄道が、船橋-柏間を開通し、六実駅が開設されました。
郡立松戸高女が県立松戸高女になる 北総鉄道(東武鉄道)船橋〜野田線開通。
9月1日関東大震災。

 大正13年(1924)
11月14日に我孫子-取手 複線化、12月25日流山鉄道の軌道を拡幅されました。
松戸 柏 我孫子 流山 六実の業者  合同タクシー発足

 大正15年(1926)

10月13日(野田人車鉄道)廃止公告



昭和
 昭和02年(1927)
葛飾橋(鉄橋)が完成・松戸〜市川間バス路線開設、次いで金町線・流山線も開設
されました。情勢として12月30日に
日本初の地下鉄が開業。

 昭和04年(1929)
東葛農商学校開校されました。また、9月1日、野田
-清水公園間(北総鉄道)開通、11月25日北総鉄道から総武鉄道に名称変更、12月25日に船橋-海神間開通(総武鉄道)した。12月30日(総武鉄道柏-清水公園 電化、11月17日(北総鉄道)春日部-大宮 開通(電気) 春雨橋コンクリートになる

 昭和05年(1930)
8月30日(総武鉄道柏駅連絡線開通、10月1日(総武鉄道)春日部-清水公園 開通(電気)。
東葛銀行破産宣告

 昭和08年(1933)
松戸町と明村が(人口15,669人)と合併しました。2月11日銚子市制施行。

 昭和09年(1934)
4月3日に船橋-海神間を廃止した。総武鉄道)6月21日(京成電気軌道)花輪-谷津遊園地 廃止。11月3日市川市制施行。

 昭和10年(1935)
東京市営八柱霊園が開設しました。

 昭和11年(1936)
12月11日
に、常磐線上野〜松戸間が電化される。 


 昭和12年(1937)
4月1日船橋市制施行。


 昭和13年(1938)
松戸町と八柱村と合併しました。
(人口21,506人)


 昭和14年(1939)
11月3日
館山市制施行。

 昭和15年(1940)
中央航空乗員養成所松戸飛行場が開設されました。

 昭和17年(1942)
東京市立松戸療養所が高塚新田に完成しました。11月3日木更津市制施行。



 昭和18年
(1943)
−松戸市の誕生−
 市制施行への機運が高まり、昭和18年4月1日、松戸町と馬橋村、高木村が合併し、県下7番目の市として「松戸市」が誕生しました。当時の人口は、40,433人。初代市長 門六郎氏。千葉銀行設立。

 昭和19年(1944)
3月1日に総武鉄道東武鉄道が合併し東武鉄道となりました。

 昭和20年(1945)
6月25日(京成電気軌道京成電鉄に改称。


 昭和21年(1946)
戦後
市立国民学校が市立小学校と改称(中部矢切南部北部東部高木高木第2馬橋小、小金町立小金小)しました。第2代市長に川井卯之助氏就任。また、千葉県の人口が、200万人に達し、天皇の人間宣言、戦後初の総選挙や、東京裁判の開廷など、大きなニュースが相次いだ年でした。千葉県の人口が100万人から200万人になるまで、73年もかかっています。

 昭和22年(1947)
12月27日に新津田沼-薬園台間が開通(新京成電鉄)し、3月1日(東武野田線)船橋-柏 電化した。また、6・3制男女共学の新学制制度施行により、市立第一、第二、第三、第四中学校が開校し、小金町立小金中学校が開校し、小金町立小金中学校が開校した。 第3代市長に恩田明氏就任
プロ野球選手 東京食糧難のため、松戸の旅館を宿舎とする
 
三丁目海老屋旅館(
阪神タイガース)冨吉旅館(阪急ブレーブス 一丁目根戸屋旅館(金星スターズ) 松 栄 館 (太陽ロビンス

 
昭和23年(1948)
8月6日(新京成電鉄)薬園台-滝不動が、開通した。

 昭和24年(1949)
1月8日(新京成電鉄)滝不動-鎌ヶ谷大仏間が、開通し、
10月17日には、薬園台-初富間が開通(新京成電鉄)した。6月1日に(常磐線)松戸-取手間が電化になった。また、
第五中学校が開校・千葉農業専門学校が千葉大学園芸学部になり、松戸電報電話局が開局し、第1回松戸文化祭を開催した。

 
昭和25年(1950)
第6中学校が開校し、第1回松戸競輪が開催され、万満寺の金剛力士像が国の重要文化財に指定されました。5月3日野田市制施行。

 昭和26年(1951)
徳川武定氏が戸定の土地、屋敷(現・戸定歴史公園)を市に寄付され、常磐線上野〜松戸間が8両編成になり、中部小内に市立図書館開設しました。第4代市長に坂巻林之助氏就任。3月15日佐原市制施行。

 昭和27年(1952)
北松戸駅が競輪開催日停車の仮駅として開設し、松戸駅に東口を開設され、五香(元山)に自衛隊の前身である保安隊を設置されました。4月1日茂原市制施行。

 昭和
28年(1953)
10月に新京成電鉄の京成津田沼-新津田沼間が開通し、10月21日(新京成電鉄)軌道を拡幅、11月1日(新京成電鉄)京成津田沼-新津田沼(移転)が、開通しました。また、松戸〜浅草間に京成バス運行開始され、第5代市長に石橋與市氏就任した。

 昭和29年(1954)
戦後の混乱期もようやく抜け出し、旧小金町の大部分を松戸市に編入(人口66,051人)しました。消防本部・消防署制度が発足し、旧徳川邸を文化施設「戸定館」として開館しました。3月31日成田・佐倉・4月1日東金・7月1日八日市場・旭・8月1日習志野・9月1日東葛 市制施行。11月15日東葛市が柏市と変更。

 昭和30年(1955)
4月21日に、
新京成電鉄初富-松戸間開通により松戸−津田沼間(26.2キロメートル)が開通した。11月、日本住宅公団が金ケ作地区に大規模な住宅団地の造成計画を発表(当時、常盤平団地で月光仮面の撮影が行われました)。常盤平団地と名称も決まりました。また、同年に小金分遣所(現・小金消防署)が完成しました。

 昭和31年(1956)
沼南村の一部高柳・高柳新田地区を松戸市に編入しました。また、小金分遣所(現・小金消防署)が完成しました。

 昭和32年(1957)
松戸電報電話局新局社が完成、電話が自動化されました。第6代市長に石橋與市氏就任。

 昭和33年(1958)
北松戸駅が常設駅になりました。10月1日勝浦市制施行。

 昭和34年(1959)
専修大学松戸高校開校し、市役所が現在の伊勢丹付近から根本に移転しました。8月18日には、(新京成電鉄)軌道を拡幅されました。

 
昭和35年(1960)
松戸市内初の工業団地(北松戸工業団地)建設事業が始まり、稔台の工業団地の造成も始まりました。また、常盤平団地の入居が始まったのは4月からでした。常盤平第一小が開校。4月京葉有料道路完成。(新京成電鉄・金ヶ作駅も常盤平駅に名称変更しました)。

 昭和36年(1961)
市営火葬場が完成し、国道6号線の松戸バイパス開通しました。 また、8月23日(新京成電鉄)新津田沼(旧位置に戻る)-前原 開通、
11月に八柱-松戸間が、複線化(新京成電鉄)しました。第7代市長に石橋與市氏就任

 昭和37年(1962)
松飛台に工業団地の造成が始まり、市営小金上水道が給水開始し、常盤平支所を設置や、七右衛門新田に塵芥焼却場(現・六和クリーンセンター)が完成しました。また、
8月には、新京成電鉄 五香-八柱 間が、複線化になりました。

 昭和38年(1963)
県道松戸・流山線が開通し、北松戸に初の市立保育所が開所しました。また、昭和3810月に、新京成電鉄 前原-高根公団、が、複線化になりました。5月1日市原市制施行。

 昭和39(1964)
県の出先機関東葛飾支庁が開設や、市民会館が完成し、松戸の電話に市内局番(62)ができ、
8月には新京成電鉄高根公団-鎌ヶ谷大仏、が、複線化になり、3月に新船橋-塚田(東武鉄道)間が、複線化になりました。また、観光梨園が始まり、二十世紀梨誕生の地記念碑も完成しました。10月1日 東海道新幹線「ひかり」「こだま」開業

 昭和40年(1965)
常盤平第二、稔台小が開校
し、県立小金高校が開校され、聖徳学園短大が開校しました。小金支所と小金消防署の合同庁舎が完成や、野菊の墓文学碑が完成し、金町バイパス(小山〜金町間)が開通され、県立松戸高校が矢切から中和倉に移りました。また、6新京成電鉄五香-椚山間が、が、複線化になりました。第8代市長に石橋與市氏就任

 昭和41年(1966)
消防西口分署が完成し、中央公園に初の市営テニスコートが完成しました。7月4日新東京国際空港が成田に決定。

 昭和42
(1967)
消防本部と中央消防署の合同庁舎完成・中央公園に市営プール完成・移動図書館「みどり号」が巡回開始・国保松戸市立病院が小山から上本郷に移転・常盤平第三小が開校や、常盤平中が開校しました。また、
6月20日に、流山鉄道が流山電鉄に名称変更しました。1月1日流山・八千代 市制施行。

 昭和43年(1968)
市の人口が20万人を突破し、八ケ崎に公設総合卸売市場を開設や、上本郷、小金北小が開校しました。また、5月14日(新京成電鉄)新津田沼駅移転、
5月に、新津田沼-前原(新京成電鉄間が、複線化しました。千葉県の人口が、300万人。学生運動がさかんだった時代。あの有名な3億円事件が起こったのもこの年。明るいニュースでは、川端康成さんがノーベル文学賞を受賞しています。200万人から300万人まで、22年でした。

 昭和44年(1969)
松戸警察署が宮前町から小根本に移転し、日曜当番医制度発足・小金原団地入居開始・松戸税務署が小根本に移転・五香消防署が開署・根木内、栗ケ沢、松飛台小が開校・市内初のデパート扇屋が開店や、すぐやる課が誕生しました。
第9代市長に松本清氏就任。

 昭和45(1970)
 
「万作踊り」が県の文化財に指定され、長崎屋が開店し、市役所新館完成・養護老人ホーム「松風荘」が開所・松ケ丘小が開校
県下初の市立林間学園を軽井沢に開設や、県立松戸養護学校開校しました。7月1日我孫子市制施行

 昭和46年(1971)
松戸駅新駅舎完成
し、竹ケ花こ線橋完成・旧警察署跡に郵便局庁舎完成・柿ノ木台、古ケ崎、六実、八ケ崎小が開校・日本大学松戸歯学部開校・ユーカリ交通公園が開園・運動公園に武道館とプールが完成・松戸北郵便局開局・市川松戸有料道路が全線開通や、オーストラリアのボックス・ヒル市(現・ホワイトホース市)と姉妹都市提携し、交流が始まり、常磐線3月に金町-北柏間、4北柏-我孫子間)が複々線化し、4月20日に営団地下鉄千代田線と相互乗り入れ(綾瀬-我孫子)開始しました。1月20日に流山電鉄が総武流山電鉄に改称。2月20日千葉テレビサービス放送開始。2月22日新東京国際空港建設用地代執行開始。3月31日鴨川市制施行。9月1日鎌ヶ谷・君津 市施行。

 昭和47年(1972)
栗ケ沢公園庭球場が完成・市立病院に未熟児センター設置・常盤平に初の市民センターがオープン・梨香台、寒風台小が開校・運動公園に野球場完成・第1回市民運動会を開催し、葛飾橋が架け替えられました。

 昭和48年(1973)
市の人口が30万人を突破し、県立松戸東高等学校(現・松戸国際高等学校)開校・二十世紀が丘消防署が開署や、9月千葉県国民体育大会(若潮国体)、市内で庭球と自転車競技を開催しました。また、
4月には、新松戸−府中本町(武蔵野線)間が開通し、新松戸駅が開設されました。第10代市長に松本清氏就任 松本市長急逝に伴う市長選挙で第11代市長に宮間満寿雄氏当選

 昭和49(1974)
市立図書館の新館オープン・松戸市第1次総合5か年計画がスタート・河原塚小が開校・伊勢丹松戸店開店・北山市民会館と斎場が完成・第1回こどもまつりを開催・運動公園の体育館がオープン・第1回松戸まつり開催や、文化ホールがオープンした。千葉県の人口が、400万人昭和49年(1974年)。長嶋茂雄さんがジャイアンツを引退し、終戦以降30年間もルバング島にひそんでいた小野田寛郎さんが救出され、田中角栄さんが首相を辞任しています。300万人から400万人までは、わずか6年でした。

 昭和50(1975)
野菊野団地の入居が始まり、市立松戸高校が開校し、和名ケ谷、旭町、牧野原小が開校や、
健康増進センターがオープン・県立松戸つくし養護学校開校・梨香台団地の入居が始まりました。また、昭和502月に、椚山-鎌ヶ谷大仏(新京成電鉄間が、複線化した。

 昭和51年(1976)
総合福祉会館完成し、小金原支所が開所・青少年会館が開館・運動公園に陸上競技場完成
・貝の花、金ケ作、馬橋北、殿平賀小が開校や、県立松戸南高等学校開校しました。

 昭和52年(1977)
松戸市の長期構想が決定し、衛生会館が完成・横須賀、八ケ崎第二、六実第二小が開校・プレハブ教室全面解消
・休日夜間急病診療所がスタート・馬橋消防署が開署や、休日歯科救急診療所開設された。

 昭和53年(1978)
ごみの分別収集始まり、新松戸南、松飛台第二、上本郷第二小が開校・市立林間学園白樺高原荘の完成や、県立松戸六実高等学校が開校した。また、昭和533月に、北初富-小室(北総開発鉄道)間開通がし松戸まで相互運転をし、昭和5310月には、西船橋-新松戸(武蔵野線)間が、複線化した。

 昭和54年(1979)
第2次総合5か年計画スタートし、六実消防署が開署・六実支所が完成・根木内東小が開校・県立松戸矢切高等学校の開校や、松戸花火大会が15年ぶりに復活した。3月9日(北総開発鉄道)北初富-小室 開業
(電気)

 昭和55年(1980)
東部スポーツパークの一部(体育館)が完成し、松戸・三郷有料道路が開通・生きがい福祉事業団が発足・市の人口が40万人を突破や、県下初の障害者福祉都市の指定を受けた。また、馬橋支所開所・クリーンセンター完成(体育館・プールなども)・婦人会館(現・女性センター)が完成・新松戸北小が開校・県立松戸馬橋高等学校開校し
た。

 昭和56(1981)
東部クリーンセンター完成し、資源リサイクルセンター完成・市民劇場オープン・新松戸支所の開所
や、大橋、六実第三小が開校しました。第13代市長に宮間満寿雄氏就任。4月1日浦安市制施行。

 昭和57(1982)
第1回松戸マラソン・矢切支所の開所と、古ケ崎南小が開校しました。11月15日(常磐線)我孫子-取手 複々線化

 昭和58(1983)
消防局新庁舎が完成し、市内全小中学校に視聴覚機器(VTR装置)を配備・市役所の窓口業務をオンライン化・東部支所が開所・幸谷小が開校や、県立松戸秋山高等学校が開校しました。千葉県の人口が、500万人昭和58年(1983年)。死者・行方不明者が104人にのぼった日本海中部地震、旧ソ連の戦闘機による大韓航空機の撃墜、東京ディズニーランドのオープンなどが大きなニュース。400万人から500万人までは9年。

 昭和59(1984)
第3次総合5か年計画スタートし、「自転車放置防止条例」を施行や、小金原体育館がオープンしました。3月19日(住宅都市整備公団鉄道)小室-千葉ニュータウン 開業


 昭和60(1985)
松戸東警察署が開署し、東部消防署が開署・松戸市教育構想審議会が発足・厚生省から「ヘルスパイオニアタウン」の指定を受け・中央ゲートボール場オープン・婦人問題懇話会が発足・松戸駅西口地下駐車場の完成や、世界平和都市宣言
をした。第14代市長に宮間満寿雄氏就任

 昭和61(1986)
松戸駅西口デッキ完成し、戸定館の庭園が県の文化財(名勝)に指定され・夜間急病救急医療システムがスタート・松戸駅に東西自由通路が完成や、常盤平体育の完成。

 昭和62(1987)
消費生活センターがオープンし、新松戸西小が開校や、県立西部図書館が開館しました。また、
昭和62年には常盤平さくら通りが「日本の道百選」にが入選しました。昭和62年(1987年)4月1日、国鉄分割民営化 JR東日本に

 昭和63年(1988)
房総の魅力500選に「
矢切の渡し」など13点が入選しました。また、馬橋小・中部小にコンピュータ教室を設置・市営白井聖地公園が第1回公募・日暮クリーンセンターが稼動開始・総務部に婦人担当室を設置・県旅券事務所東葛飾分室がオープン・デイ・サービスセンター「南花園」オープン・坂川が「ふるさとの川モデル事業」のモデル河川に・地下鉄8・11号線早期建設促進の署名運動が始まり、図書館本館と大型分館にコンピュータを導入しました。


平成
 平成元年(1989)
松戸市の人口が45万人を突破しました。また、松戸駅市民ギャラリーが完成・市立病院に別館が完成・第4次総合5か年計画がスタート・「電子計算機処理に係わる個人情報保護条例」を施行・運動公園野球場にナイター設備が完成や、消防訓練センターが完成しました。第15代市長に宮間満寿雄氏就任

 平成2(1990)
(財)まつど街と水辺の緑化基金を設立し、ごみを減らす課が誕生・(財)松戸市国際交流協会を設立・青少年会館樋野口分館がオープン・中学校給食が古ケ崎中・小金北中で始まり、都市計画道路3・3・7号線の一部(常盤平〜八ケ崎間)が開通や、市立図書館全館がオンライン化しました。

 平成3(1991)
公共職業安定所(ハローワーク)が旭町に移転
や、松戸市女性行動計画を策定・戸定が丘歴史公園オープンし、国民文化祭千葉’91。市内で人形劇フェスティバルを開催しました。また、平成
33月31日に、北総開発鉄道全線開通(矢切・秋山・東松戸・松飛台駅開設) 京成高砂-新鎌ヶ谷(北総開発鉄道)間開通がした。その後、新鎌ヶ谷-北初富(北総開発鉄道)間を廃止し、新京成電鉄の新鎌ヶ谷駅を設置した。

 平成4(1992)
平成公立学校の週5日制がスタートし、生活排水対策指導員制度を開始・女性行動計画推進協議会を設置や、大金平消防署が開署しました。

 平成
5(1993)
「川をきれいにする条例」を施行し、市民憲章の制定・中央保健センター(現・中央保健福祉センター)のオープン・市制施行50周年記念式典を挙行・
21世紀の森と広場がオープン・市立博物館のオープン・北小金駅南口再開発ビル「ピコティ」に小金支所が移転。同時に小金保健センター(現・小金保健福祉センター)がオープン・福祉医療センター(東松戸病院、梨香苑)の開設や、文化会館(森のホール21)が開館がオープンしました。第16代市長に宮間満寿雄氏就任

 平成6年(1994)
北小金駅南口再開発ビル「ピコティ」が全館オープンし、県立松戸東高等学校が松戸国際高等学校に校名を変更・「松戸市廃棄物の減量及び適正処理に関する条例」(ごみ減らしリサイクル条例)を施行・「松戸市高齢者保健福祉計画」を策定・第5次総合5か年計画がスタート・国分川分水路完成・幸田貝塚出土品が国の重要文化財に指定・宮間市長急逝に伴う市長選挙で第17代市長に川井 敏久氏が当選・(財)松戸市福祉公社が発足・中央在宅介護支援センターを開設・すくすくサポート21がスタート・21世紀の森と広場に自然生態園がオープン・松戸市行政リストラ市民会議が発足、
姉妹都市ボックス・ヒル(豪)が、合併によりホワイトホース市となる。

 平成7年(1995)
阪神・淡路大震災で救助・医療救護・避難所支援等に松戸市職員を派遣、公文書公開制度がスタート・中学校給食が全校で実施に・大規模震災対策計画を策定・69歳を対象に医療費の助成を開始・防災ボランティアの登録開始・江戸川松戸フラワーライン整備事業がスタート(レンゲ祭り、コスモス祭)・ゆうまつど(女性センター)が改修オープン・和名ケ谷クリーンセンターが完成や、松戸市行政リストラ実施計画を策定(実施年度8年度〜10年度)しました。

 平成8年(1996)
和名ケ谷スポーツセンターがオープンし、事業系廃棄物対策総合計画を策定・「日本の音百選」(環境庁)に「柴又帝釈天界隈と矢切の渡し」が選ばれ、新松戸支所・六実支所にモデルケースとしてテレビ電話を導入や、松戸花火大会が4年ぶりに復活・八ケ崎消防署が開署しました。

 平成9年(1997)
松戸市人権施策に関する基本方針を策定し、松戸市のホームページを開設(3月28日)・市営駐輪場を有料許可制に(順次)・粗大ごみの収集が有料制に・大谷口歴史公園がオープン・ペットボトルの回収を集団回収方式でスタート・女性消防団が誕生・柳原排水機場が完成・乳幼児健康支援デイサービス事業が開始・まつどファミリー・サポート・センターを設立・松戸南郵便局の開局や、女性問題全国都市会議が松戸で開催しました。

 平成10年(1998)
県西部防災センターがオープンし、JR武蔵野線「東松戸駅」が開業・初の女性助役誕生・新・松戸市総合計画(基本構想・前期基本計画・第1次実施計画)がスタート・松戸市健康福祉会館「ふれあい22」が開館・松戸市男女共同参画プランがスタート・松戸市地域防災計画を改訂・江戸川流水保全水路(ふれあい松戸川)の完成・松戸市環境計画を策定・松戸市障害者計画、松戸市こども育成計画、地域保健医療計画を策定・市長直通電子メールの開設・人権尊重都市宣言や、松戸市緑の基本計画を策定しました。

 平成11年(1999)
地域振興券の交付開始し、市立松戸高校国際人文科がスタート・市民会館が改修オープン・松戸市民栄誉賞を新設。第1号に矢切の渡し船頭さんが選ばれ、松戸市都市計画マスタープランを策定・柿ノ木台公園体育館がオープン・ノンステップバスが市内3路線で運行開始や、松戸市都市計画道路3・3・6号線一部開通(千駄堀〜八ケ崎間)しました。


 平成12年(2000)
運輸政策審議会が地下鉄11号線松戸延伸を答申し、財団法人松戸市国際交流協会が設立10周年を迎え、松戸警察署が新築・移転・市の組織を一新し本部制を導入・新消防指令管制システムが稼働(消防局)・介護保険制度が始まり、松戸市再生品展示場(ミニリサイクルプラザ)がオープン・常盤平団地入居開始以来、40周年を迎え、北千葉導水事業が竣工・第53回千葉県民体育大会で松戸市が初の男女総合優勝・松戸市立病院が開設50周年を迎え、元祖「松戸七福神鍋」が登場した。

 平成13年(2001)
県道松戸鎌ヶ谷線の五香立体本線車道部が、
平成13年2月21日午前4時に開通しました松戸駅東口にエレベーターを設置、21世紀の森と広場「木もれ陽の森」オープン、松戸市高志教育振興基金を設立、i・cityまつど「IT講習会」が始まりました。また、ごみの分け方・出し方を5分別から8分別に変更や、オーストラリア・ホワイトホース市との姉妹都市提携が30周年を迎えました。江戸川(小山)に松戸緊急用船着場が完成、松戸駅西口に全国初のインターネット型避難誘導案内板を整備、松戸市教育改革市民懇話会が発足、すぐやる課処理件数10万件達成、帝国ホテル料理顧問・村上信夫さん、阪神タイガース打撃コーチ・和田豊さん、宇宙飛行士・角野直子さんに松戸市民栄誉賞を贈呈しました。

 平成14年(2002年)
千葉県の人口が、600万人。500万人から600万人に増えるのに要した時間はかなり延びて、19年かかっています。新しい情報公開制度がスタート、5/12を「グリーンツリーデー(樹の日)」に。ホワイトホース市との姉妹都市提携記念日、新たに「市の木」「市の花」「市の鳥」を制定、生涯学習情報プラザがオープン、21世紀の森と広場「木もれ陽の森」内に野外キャンプ練習場・管理棟を増設、松戸市電子医療情報ネットワーク(EMInet)がスタート、松戸駅西口地下駐車場がリニューアルオープン、出産直後の援助活動(After Birth Care)がスタート、第19代市長に川井 敏久氏就任、住民基本台帳ネットワークシステムが一部稼動、五香消防署新庁舎が完成、根木内こども館がオープンしました。

 平成15年(2003年)
小中学生児童生徒用机椅子をカンボジア王国へ無償提供。「まつど市民活動サポートセンター」オープン。オウム真理教(アーレフ)信者が市外に退去。皇后陛下が戸定歴史館を訪問され、「現代かな書の最高峰 藤岡保子展」を鑑賞。市政施行60周年を記念し「小澤征爾 新日本フィルコンサート」等、多くの記念行事が開催される。「総合計画第二次実施計画」スタート。「バンダイミュージアム」がJR松戸駅東口にオープン。住民基本台帳ネットワークシステム二次稼動開始(住民基本台帳カードの交付)。「松戸市行政サービスセンター」がJR松戸駅構内にオープン。サタデー・コミュニティ・スクール開校。松戸市パートナーシップ検討委員会から最終提言。技能功労者を表彰。市民ミュージカル「がんばれポッチー物語」開催。「松戸市安全で快適なまちづくり条例 」制定。松戸駅東口繁華街に防犯カメラ15台設置。

 平成16年(2004年)
「松戸市安全で快適なまちづくり条例」が施行、重点推進地区内での規制も6月よりスタート。「松戸市夜間小児急病診療所」を開設。流通経済大学新松戸キャンパスが新松戸に開校。「高齢者虐待ネットワーク」発足。二十世紀梨交流百周年で鳥取県倉吉市と「梨(あり)の実交流宣言」、記念イベントが開催される。市内3小学校を統廃合する条例改正案可決。「松戸みどりの市民憲章 」制定。「千駄堀スポーツ広場」がオープン。千葉大学園芸学部と戸定が丘歴史公園をつなぐ「みどりの回廊」が開通。女性センターゆうまつどがリニューアルオープン。柳原水閘百周年で記念イベント開催。

平成17年(2005年)
「安全で快適なまちづくり条例」改正、重点推進地区での違反者から直ちに過料徴収。市議会本会議のインターネット録画放映開始。タウンスクール根木内に「つどいの広場」オープン。天皇陛下が建具製造メーカー「ハリマ産業株式会社」視察。市内小学校の全児童に防犯ブザーを配布。2005千葉きらめき総体開催(松戸市開催=自転車トラック競技、フェンシング)。「閃きと汗・エジソン展」開催。市立病院で「電子カルテシステム」本稼動。戸定邸から眺める富士山が「関東の富士見百景」(国土交通省)に。「もったいない運動」を推進。

平成18年(2006年)
ケニアの環境副大臣・ワンガリ・マータイさん(2004年にノーベル平和賞を受賞)が、新松戸南小学校に来校。松戸市シニア交流センターがオープン。松戸市夜間小児急病センターを開設。根木内歴史公園が開園。ヒグラシ・ワンダーワールド〜日暮修一の世界展を開催。ホワイトホース市との姉妹都市提携35周年記念式典。第20代市長に川井 敏久氏就任。戸定邸が国の重要文化財に指定される。「野菊の墓」(伊藤左千夫著)発表100周年で記念式典を開催。市内小・中学校が合唱・合奏の全国大会で活躍。

平成19年(2007年)
2月15日が「もったいないの日」に。戸定が丘歴史公園が「日本歴史公園100選」に選定。市役所正面玄関前に「キッチンガーデン」が開園。警防ネットワーク・防犯パトロール事業開始。E-こどもの森・ほっとるーむ東松戸、おやこDE広場北松戸開設。東松戸に「ゆいの花公園」開園。シティミニコンサートが100回を迎え記念コンサート。食育推進キャラクターとその愛称が決定。愛称は「ぱくちゃん」。坂川でアユ発見。協働推進課を設置。合奏・合唱等の全国大会で市内小・中学校が大活躍。








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