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10月 2日 豆腐の日(日本豆腐協会1993)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アンズ  遠慮・気後れ・乙女のはにかみ・誘惑・慎み深さ○
コリウス      絶望の恋・善良な家風・恋の望み  ○
ヘレニウム     寛容な心・派手          ○
リンドウ   的確・正義感・誠実・貞淑・悲しむ君が好き○

∞…∞10月 2日・今日という日 ∞…∞

桑名里瑛   (1993)  タレント
ディーマ菜た里   (1988)  PARADISE GO! GO!
海老沢神菜   (1987)  タレント
森 雄介   (1982)  タレント
Huge   (1981)  サウンドクリエイター
浜崎あゆみ   (1978)  歌手
新井田豊   (1978)  ボクシング
西村麻子   (1977)  アナウンサー
新塾タイガー   (1975)  タレント、超新塾
ストーカー市川   (1974)  プロレス
大八木友之   (1974)  アナウンサー
トレイ・ムーア   (1972)  野球
村上由利子   (1972)  アナウンサー
伊藤由希子   (1971)  タレント
笠原康哉   (1969)  PaniCrew
山瀬まみ   (1969)  タレント
ダンナ小柳   (1968)  電撃ネットワーク
ヤナ・ノボトナ   (1968)  テニス
村田蓮爾   (1968)  イラストレーター
米原秀幸   (1967)  漫画家
堀内一史   (1965)  元UNICORN、Bass
いくえみ綾   (1964)  漫画家
浪花勇二   (1964)  俳優
真鍋吉明   (1962)  the pillows、G.
アンドリュー・グリーンバーグ   (1957)  ゲームデザイナー
プリティ長嶋   (1954)  タレント
岩崎和夫   (1953)  アナウンサー
山下三智夫   (1952)  元クリスタルキング、G.
スティング   (1951)  シンガーソングライター
上田雅利   (1950)  チューリップ、Dr.
スヌーピー   (1950)  キャラクター
ダナ・キャラン   (1948)  ファッションデザイナー
室伏重信   (1945)  ハンマー投げ
小島一慶   (1944)  アナウンサー
青空好児   (1943)  漫才師
尾上菊五郎 (七代目)   (1942)  歌舞伎役者
尾辻秀久   (1940)  政治家
小原乃梨子   (1935)  声優
近藤貞雄   (1925)  野球
志村正順   (1913)  アナウンサー
円地史子   (1905)  作家
グレアム・グリーン   (1904)  劇作家、作家
小沢治三郎   (1886)  軍人
マハトラ・ガンディー   (1869)  独立運動家
パウル・フォン・ヒンデンブルク   (1847)  政治家、ドイツ大統領
良寛   (1758)   歌人、禅僧 ※1757年12月説もあり

 ○ 安政の大地震。死者4300人を記録(1855)
 ○ 人身売買、娼妓の年季奉公を禁止(1872)
 ○ 株式市場に第2部新設(1961)
 ○ オリンピック記念千円銀貨発売(1964)
 ○ 日本最長のトンネル、山陽新幹線六甲トンネル貫通(1970)
 ○ 練馬と長岡を結ぶ関越自動車道開通(1985)
 ○ 伊勢神宮式年遷宮「遷御の儀」(1993)

スヌーピーの誕生日
1950(昭和25)年、チャールズ・シュルツ作の漫画『ピーナッツ』がアメリカの新聞7紙で掲載を開始しました。
飼い主のチャーリー・ブラウンもこの日が誕生日となった。ただし、スヌーピーが登場するのは2日後の10月4日号から。

望遠鏡の日
1608年、オランダの眼鏡技師リッペルハイが遠くの物が近くに見えるという望遠鏡を発明し、特許を申請する為にオランダの国会に書類を提示した。
しかし、原理があまりにも単純で誰にでも作れそうだという理由で、特許は受理されなかった。

関越自動車道全通記念日
1985(昭和60)年、関越トンネルが開通し、東京〜新潟間の関越自動車道が全線開通した。

豆腐の日
10月2日の語呂合わせで「とうふ」の日。
季節を問わず様々な料理でおいしく食べられ、栄養豊富な豆腐をもっとPRしようと豆腐の製造業者らが中心となって設けられた日。

ガンジー生誕日(インド)

勤労の日(オーストラリア)

宗鑑忌
俳諧の祖とされる山崎宗鑑の1553(天文22)年の忌日



安政の大地震(1855)
安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)夜十時頃、八丈島付近を震源とするM6.9の地震が発生。
世界最大級の都市・江戸が大きく揺れました。
地震自体による被害はそう大きくなかったものと推定されますが、直後に多数の火災が発生、大きな火事となって死者は4000人(1万人とも20万人と書いてある本もあるがそれは恐らく誇大。振袖火事でも10万人です)に達しました。

この安政江戸地震を一般に「安政の大地震」と呼んでいますが、地震の規模からいくと前年の3連地震の方が巨大でした。

安政元年11月4日 M8.4 震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震』
安政元年11月5日 M8.4 震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』
安政元年11月7日 M7.4 震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)

恐ろしいことにわずか4日間のあいだに巨大地震が3つも起きました。
近畿地方では4日の地震の直後に5日の地震、四国地方では5日の地震の直後に7日の地震が起きていて、いづれも両方の地震の被害が区別できないほどです。
この3つの地震の死者は合計で軽く1万人を越えているのではないかと思われます。

さて、安政江戸大地震では、大都市の地震だけにたくさんの瓦版がつくられ、また震災前後の話を収録した地震誌も多数出ているようです。
その中にはたとえば次のような予兆現象なども記されています。

地震の4〜5日前に浅草で突然地下水が湧き出した。
前夜と当日朝に地震雲が観測された。

この地震の1月ほど前、黒船来航に揺れて社会的にも不穏な世の中の行く末を見極めようと易の卦を立てた人物がいました。
出た卦は「離為火」。

火事だ。
そう直観した彼は材木の大量買い付けに走ります。
そして1月後、占い通り火事が起きて彼が買った材木はきれいに売れてしまいました。
これによって大きな富を得た彼は、その後鉄道事業・旅館経営などで更に資産を形成していきます。
また彼は旅館の関係で明治政府の要人たちと知り合うようになり、結果的には明治政府のブレーンの一人となりました。

彼の名前は高島嘉右衛門。明治の易聖と言われ、彼の名前は現在でも多くの占い鑑定所・運勢暦出版社がそれを冠にしています。
(実際には全て高島嘉右衛門とは無関係です。)





マハトマ・ガンジー
1869年10月2日、非暴力主義の提唱者でインド建国の父と呼ばれる、マハトマ・ガンジーがポルバンダールに生まれました。

ガンジーは裕福な商人の家に生まれ、イギリスに留学して法律を学び、その後、南アフリカ共和国に赴いて、外国商社の訴訟問題にかかわる内に、人種差別の問題に直面。そこから、インドの独立運動に身を投じることになります。

何度も投獄されながらも、彼は一切の武力闘争を否定し、非暴力・不服従の姿勢を貫いて、断食闘争などを続けました。
この考え方は現代の反戦運動などの市民運動のあり方のベースとなっています。

この静かな抵抗運動の広がりにイギリスもとうとう、第二次世界大戦終了後インドの独立を認めざるを得なくなります。
ところが、今度は宗教的な対立から、この国はインドとパキスタン(現在のパキスタン及びバングラデシュ)の2つに分裂したまま独立することになってしまいました。

ガンジーはこれに対して、宗教の融和と寛容を訴え、両国の統一に力をそそぎますが、そのさなか、1948年1月30日、右翼の過激派の銃弾に倒れることになります。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ







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