戻る ▲トップページ

10月 3日 登山の日・シャツの日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
オトコエシ     野生味              ○
カエデ       遠慮・確保・とっておきの・自制  ○
シオン       ご機嫌よう・追憶         ○
モミジ       遠慮・自制・大切な思い出・秘蔵の宝○

∞…∞10月 3日・今日という日 ∞…∞

斉藤里奈   (1990)  タレント
林 千草   (1984)  タレント
近藤直也   (1983)  サッカー
八反安未果   (1980)  歌手
蛯原友里   (1979)  モデル
安美錦竜児   (1978)  相撲
阿智太郎   (1978)  作家
CORN HEAD   (1977)  ラッパー
平敷慶吾   (1977)  俳優
渥美理絵   (1977)  漫画家
剣太郎セガール   (1975)  俳優、モデル
石嶺聡子   (1975)  歌手
NATSU (赤羽奈津代)   (1974)  元センチメンタル・バス、Vo.
アレックス・ラミレス   (1974)  野球
日本橋ヨヲコ   (1974)  漫画家 「G戦場ヘブンズドア」
ネーヴ・キャンベル   (1973)  俳優
真木蔵人   (1972)  俳優
ケンタロウ   (1972)  料理研究家
ケビン   (1971)  バックストリート・ボーイズ
tetsu   (1969)  L'Arc-en-Ciel、Bass
石田ゆり子   (1969)  女優
藤島誠剛   (1969)  野球
飛鷹ゆうき   (1967)  漫画家 「タイムウォーカー零」
佐々木誠   (1965)  野球
夏目 純   (1959)  作詞家
田口ランディ   (1958)  作家
石川優子   (1958)  歌手
大沢誉志幸   (1957)  歌手
矢野健太郎   (1957)  漫画家
星野知子   (1957)  女優
槇村さとる   (1956)  漫画家
平野俊貴 (平野俊弘)   (1956)  アニメ監督
斉藤澪奈子   (1956)  エッセイスト
山口いづみ   (1954)  女優
スティーヴィー・レイ・ボーン   (1954)  ミュージシャン
スティーヴ・フォックス   (1953)  ゴダイゴ、Bass
永射 保   (1953)  野球
白竜   (1952)  俳優、歌手
宮川大助   (1950)  漫才師
遠藤純男   (1950)  柔道
加藤健一   (1949)  俳優
笹みどり   (1947)  歌手
末広まき子   (1944)  政治家、タレント
山本耀司   (1943)  ファッションデザイナー
野田 毅   (1941)  政治家
三遊亭円窓   (1940)  落語家
岡田和生   (1942)   アルゼ社長
松井康子   (1939)  女優
浜村美智子   (1938)  歌手
アンディ・ウィリアムズ   (1930)  歌手
牟田悌三   (1928)  俳優
花登 筐   (1928)  劇作家
平林たい子   (1905)  作家
小林多喜二   (1903)  作家
トーマス・ウルフ   (1900)  作家
下村湖人   (1884)  作家
ピエール・ボナール   (1867)  画家 ※10月30日生まれ説もあり
タウゼント・ハリス   (1804)  外交官
国友藤兵衛   (1778)  蘭学者

 ○ 山田長政、徳川幕府から通商貿易の許可証、朱印状を許される(1629)
 ○ イタリア・エチオピア戦争(1935)
 ○ イギリス初の原爆実験(1952)
 ○ 日本武道館開館(1964)
 ○ フジテレビで、渥美清主演のドラマ「男はつらいよ」の放送が始る。やがて松竹で映画化され前代未聞の人気シリーズ映画になる(1968)
 ○ 初の自動車排気ガス規制が決まる(1972)
 ○ 東西ドイツ統一(1990)

登山の日
1991年(平成3年)に日本アルパインガイド協会が制定。
「と(10)ざん(3)」の語呂合わせ。

開天節
(韓国) 韓国の4つの国慶日(国家の慶事を記念する日)の一つ。
韓国の建国記念日。紀元前2333年、檀君王倹が平壌城に都を定め、古朝鮮王国を建国した。

フランシスコ・モラサン生誕記念日(ホンジュラス)
ホンジュラスの独立の英雄で、独立後大統領となった、フランスコ・モラサン将軍の1792年の生誕の日。

ドイツ統一の日
1990年(平成2年)のこの日、45年ぶりに東西に分かれていたドイツが統一され、ドイツ連邦共和国が誕生した。

蛇笏忌,山廬忌
俳人・飯田蛇笏の1962(昭和37)年の忌日。



登山の日(10.3)
10月3日は語呂合わせで「登山の日」です。日本アルパインガイド協会が1991年に制定しました。

近年は深田久弥の「日本百名山」(新潮文庫)などの影響もあり、山に登る人が増えていますが、何にでもある問題として、人が増えると勉強不足やマナーの悪い人なども大量発生して、顰蹙を買ったり他人に迷惑を掛けたりするケースもあります。
こういうことには充分注意したいものです。

安全面から言えば、低い山だからといった甘く見ずに最低限の装備をしておくことや決して単独行動はしないことが必須です。
またそもそも自分の実力と経験を冷静に判断して無謀な挑戦はしないこと、疲れたら休むこと、万一道に迷ったらむやみに歩きまわらず体力を温存すること、なども重要でしょう。
またマナーの面から言えば、人とすれ違ったり追い抜く時は挨拶をすること、ゴミは各自で持ち帰ること、草花をむやみに踏み荒らしたり、抜いて持ち帰ったりしないことなども最低限のことでしょう。

【最低限装備に入れておきたいもの】
ラジオ(スピーカー付き。音を出しておくことが熊の忌避に効果がある)
予定日数+数日分の食糧(日帰り予定でも最低1日分)と飲料水着替え・雨具・タオル・消毒薬・GPS・地図・方位磁針・飴玉・携帯電話

あと細かい問題は登山関係のガイドサイトに多数書いてありますので、そういうのを見て参考にしましょう。
けっこう意見の分かれる問題もあるのですが、その付近は信頼できる人に直接相談してみましょう。各々の意見の根拠を聞いて自分で判断するしかありません。



東西ドイツ統一(1990)
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線末期。
東からはソ連軍が、西からはアメリカ・イギリス・フランス軍がドイツに侵入、各地で激しい戦いを続けました。
1945年4月25日ソ連軍とアメリカ軍がとうとうエルベ川で合流。両軍兵士が喜びの交歓をします。

ベルリン攻防戦は同25日から始まり約3日でほぼ決着が付いて30日にはヒットラーが自殺しますが、一部の部隊は最後まで激しく抵抗。
最終的にベルリン防衛軍が降伏したのは5月2日でした。
そして8日チャーチルとトルーマンがヨーロッパ戦線の勝利を宣言します(VEデー)。

この結果を受けてドイツは取り敢えず連合軍の支配下に入りますが、首都ベルリンは東側をソ連、南側をアメリカ、西側をイギリス、北側をフランスが、分割占領されることになりました。
そして、これがその後のドイツ分割の悲劇へとつながっていきます。

結局ソ連軍占領地域と米英仏軍占領地域が別々の国として独立することになります。
まず米英仏の占領地域は1946年に統合されましたが、1947年6月の全地域統合の話し合いは決裂、1948年4月ソ連は西ベルリンを封鎖。
この地域に住む人々が孤立することになりますが、これに対して米英仏側は物資の空輸を敢行。
この一触即発の状態は翌年まで続きました。

このいつ戦争が起きてもおかしくない状態は幸いにも実際の戦闘には至りませんでしたが、その後50年にわたって続く「冷戦」の始まりとなるものした。

結局翌年ソ連の占領地域は「ドイツ民主共和国」として独立、一方の米英仏の占領地域は「ドイツ連邦共和国」として独立しました。
こうしてドイツは朝鮮・ベトナムとともに冷戦による「分割国」となってしまいましたが、その東西の経済力の差はあまりにも明確でした。

そのため、東ドイツではベルリンの東西境界線を越えて西側へ脱出しようとする市民が大量に発生。
業を煮やした東ドイツはこの境界線上に「ベルリンの壁」を建築。
これに歯止めを掛けました。1961年8月13日のことでした。

このベルリンの壁はその後1985年にソ連にゴルバチョフが登場して東西緩和を実現するまで、市民の前に冷たい姿をさらし続けました。
そして1989年11月10日この壁が崩されるまで、この壁を強引に越えようとして警備兵に射殺された市民は約200人、途中でつかまった人は1万人ほどと推定されます。
(脱出に成功した人は4万人)

そして、この長い長い不自然な状態が解消されたのが1990年10月3日でした。
当初東ドイツ政府は西ドイツとの対等合併を模索していましたが、それでは時間がかかるため、国民の声により東ドイツの各州がばらばらに西ドイツに「加入」するという吸収合併方式で進めることになり、この日実現したものです。

東ドイツは統合前は東ヨーロッパの優等生でした。
東ヨーロッパ経済圏の中でも、東ドイツ製の工業製品は品質が良いことで大人気でした。
しかし、その東ドイツが西ドイツと一緒になってみると、西ドイツの技術の前には全く歯が立たなかったことが明確になり、旧東ドイツ地域の経済はほぼ壊滅状態になります。

そしてドイツはこの旧東ドイツ地域の経済復興のために、莫大な資金投入を余儀なくされ、90年代の世界経済減速のひとつの原因となったとみることもできるでしょう。
これは戦後50年間の借金の返済をまとめて迫られているものともいえます。

しかし、元気なドイツ国民はきっと短期間でこの50年分の借金を返して世界のリーダーの一人に復帰してくることでしょう。




で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




▲このページの先頭へ戻る
 戻る ▲トップページ