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10月26日 原子力の日(科学技術庁1964)、ふろの日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
イチョウ      しとやか・鎮魂・長寿       ○
クサギ       運命・治療            ○
クマツづラ     魔法の力・魔力・魔法       ×
スイバ       親愛の情・情愛・忍耐       ○

∞…∞10月26日・今日という日 ∞…∞

飯田里穂   (1991)  タレント
成田夢露   (1987)  スノーボード
サーシャ・コーエン   (1984)  フィギュアスケート
麻績村まゆ子   (1979)  声優
伊達杏子DK-97   (1979)  CGアイドル
三田あいり   (1978)  タレント、女優
ジェレミー・ウォザースプーン   (1976)  スピードスケート
小西寛子   (1975)  声優
LISA   (1974)  歌手、元 m-flo、Vo.
加藤 歩   (1974)  タレント、ザブングル
TAKAみちのく   (1973)  プロレス
向井秀徳   (1973)  元NUMBER GIRL、Vo. G.
千秋   (1971)  タレント
リトル清原 (山崎克也)   (1971)  タレント
佐々木収   (1971)  SCRIPT、元 MOON CHILD、Vo.
もちづきる美   (1971)  タレント
原田龍二   (1970)  俳優
岡部孝信   (1970)  スキー、ジャンプ
井森美幸   (1968)  タレント
高杉勇作 (山下 優)   (1967)  俳優
岡田浩暉   (1965)  To Be Continued、Vo.
大澄賢也   (1965)  タレント、ダンサー
野村義男   (1964)  ギタリスト、たのきんトリオ
渡辺敦子   (1964)  元 PRINCESS PRINCESS、Bass
高野和明   (1964)  カメラマン
中内助六   (1962)  JAY WALK、Bass
久保田篤   (1959)  タレント、パチプロ
朝岡 聡   (1959)  アナウンサー
あいざき進也   (1956)  歌手
小倉久寛   (1954)  俳優
長倉洋海   (1952)  カメラマン
シブサワ・コウ (襟川陽一)   (1950)  ゲームプロデューサー、コーエー
北方謙三   (1947)  作家
ヒラリー・クリントン   (1947)  政治家
チャック・ウィルソン   (1946)  タレント、スポーツインストラクター
櫻井よしこ   (1945)  ジャーナリスト
山川啓介 (井出隆夫)   (1944)  作詞家
小林 守   (1944)  政治家
山田重雄   (1931)  バレーボール
渡久地政信   (1926)  作曲家
フランソワ・ミッテラン   (1916)  フランス大統領
織田作之助   (1913)  作家
ドン・シーゲル   (1912)  映画監督
鈴木澄子   (1904)  女優
レオン・トロツキー   (1879)  革命家
大江新太郎   (1879)  建築家
伊東忠太   (1867)  建築家
ヘルムート・フォン・モルトケ (大モルトケ)   (1800)  軍人
ジョルジュ・ジャック・ダントン   (1759)  革命家

 ○ 江戸幕府、五人組制度を強化(1637)
 ○ 中山みき、天理教をひらく(1838)
 ○ 旧ソビエト成立(1905)
 ○ 榎本武揚、死す(1908)
 ○ 伊藤博文、ハルビンで射殺される。狙撃者の抗日運動家・安重根はその場で逮捕(1909)
 ○ ベトナム共和国成立(1955)
 ○ 文部省による中学生一斉学力テスト実施(1961)
 ○ 茨城県東海村の日本原子力研究所で日本初の原子力発電成功(1963)
 ○ 金沢の兼六園と京都の浄瑠璃寺庭園が特別名勝の指定うける(1964)
 ○ JR東日本が上場(1993)

原子力の日
1963年(昭和38年)の今日、茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉が日本で初の原子力発電を行った。
これを記念して1964年(昭和39年)に政府が原子力の日を制定、原子力について国民の理解を深めてもらおうと様々な行事を行っている。

サーカスの日
1871(明治4)年、東京・九段でフランスの「スリエサーカス」による日本初のサーカス興業が行われました。

建国記念日(オーストリア)

勤労感謝の日(ニュージーランド)



原子力の日(10.26)
10月26日は原子力の日です。
これは1963年10月26日東海村日本原子力研究所の動力試験炉が日本初の発電に成功したことを記念して定められたものです。
またそれに先立つ1956年10月26日は日本が国際原子力機関に加盟した日でもあります。

ここで原子力開発の歩みを見てみましょう。

冷戦前 [編集]
1895年 放射線の発見。レントゲンが謎のビーム(X線)を発見、ベクレルもウランが発する同様のビーム(アルファ線)を発見して、これらは「放射線」と名づけられた。3年後、ピエール・キュリーとマリー・キュリーの夫妻がラジウムを発見し、ここから放射線の研究が始まった。
1905年 ドイツのアルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表し、質量とエネルギーの等価性を理論的に証明した。
1938年 ドイツのオットー・ハーンにより発見され、リーゼ・マイトナーによって核分裂反応と確認され、質量とエネルギーの等価性が実証された。

冷戦時代 [編集]
1945年 アメリカ合衆国(米国)のマンハッタン計画によって、核分裂反応を利用した世界初の原子爆弾が製造される。8月上旬には日本の広島と長崎に原子爆弾が投下され、原子力兵器が実際に使用される。この時に得られたデータは放射線障碍の重要なデータとして、現在でも使用されている。第二次世界大戦と冷戦では、世界中で原子力兵器開発が行われ、冷戦後の現在も続いている。
1951年 米国のEBR-Iで世界初の原子力発電に成功した。
1952年 4月7日、日本で、原子力ロボット「鉄腕アトム」の連載が開始。
1953年 米国のドワイト・アイゼンハワー大統領が、「核の平和利用」と題した演説。
1954年 3月1日、ビキニ岩礁での水素爆弾実験で、焼津の漁船・第五福竜丸が被爆。同年、ソビエト連邦(ソ連)において最初の商用の原子力発電が開始された。
1963年 東海村の東海発電所において、日本で最初の原子力発電が開始された。
1968年 日本の佐世保で、原子力空母エンタープライズへの入港への反対運動。この頃、米国などで原子力空母の造成が盛んに行われる。
1979年 米国のスリーマイル島原子力発電所で、運転員の誤操作によりメルトダウン事故が発生。放射性物質の放出は防げたものの、周辺住民10万人が避難した。このスリーマイル島原子力発電所事故以降、原子力に対する批判的な機運が高まった。
1986年 ソ連内ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、実験中に爆発事故が起こり、放射性物質が環境中に放出され47人が急性の放射線障碍で死亡した。2006年のIAEAの報告では、晩発の放射線障碍を含む死者の推計数は約9000人とされており、商用の原子力災害としては史上最悪の事態となった。

冷戦後 [編集]
1999年 日本の東海村のJCO核燃料施設で、正規の作業手順を無視したことにより臨界事故が発生し、大量の放射線を浴びた作業員2名が、急性の放射線障害で死亡した。1999年の時点で、世界の発電所で425基の原子炉が稼動し、年間で35,943万kW年の電力が発電された。[要出典]この他にも原子力空母と原子力潜水艦で動力用原子炉が使用されている。
2003年 2003年時点で、日本の発電所では52基の原子炉が稼動し、年間で3357万kW年の電力が発電された。[要出典]原子爆弾の実戦での使用実績は2発であるが、核実験の回数は全世界で2000回を超えている[要出典]。2003年の世界の原子爆弾保有数は約3万発である[要出典]。
2006年 北朝鮮の核実験 (2006年)により、北朝鮮核問題が本格化。
2011年 3月12日、日本の大熊にある福島第一原子力発電所(東京電力が保有者)で、3月11日の東北地方太平洋沖地震で発生した震動や大津波により、非常用電源などの設備が破損し、原子炉の冷却機能を喪失。1号機から3号機で燃料棒が露出する空焚き状態になり、メルトダウンが発生。更に、原子炉建屋内に充満した水素により1号機と3号機(3号機はプルサーマル)の原子炉建屋が水素爆発を起こし、使用済み核燃料プールの冷却が停止した4号機でも同様の原因で水素爆発が発生したほか、2号機の格納容器の一部でも爆発が発生(福島第一原子力発電所事故)。これら原子炉4基の爆発の結果、広範囲に高濃度の放射性物質が拡散し、国際原子力事象評価尺度におけるレベル7(深刻な事故、チェルノブイリ事故と同値)に該当すると発表された。5月12日、1号機の水位が想定外に低いことから、東京電力がメルトダウンを認めた。


1999年に起きたJCOの事故に関しては、呆れて物が言えないというしかありません。

原子力に関する教育がまともに行われていないのではないか、とか、教育すると恐がって社員が辞めるから教えてないのでは、などという厳しい意見も出ているようです。

人間の体の仕組みをしらずに外科医ができないのと同様、核を扱う人には徹底的な原子力に関する教育が必要です。

本当は原子力発電などせずに済めばいいのですが、まだまだ太陽光発電などの次世代の発電が実用域に達していません。
その開発もできるだけ早くやるべきです。
とはいっても今年の夏の電力も足りているわけですから。・・・・・・・・・

日本の原子力開発は最初独自技術により始められましたが、原子力技術を独占したいアメリカの強い圧力により、独自開発は打ち切られ、アメリカの技術を輸入した軽水炉を中心に利用されて来ました。

その中でわずかに新技術の開発のために運用してきたのが1999年に事故のあった燃料を使用している常陽や、「ふげん」「もんじゅ」でした。
常陽自体は20年以上運用してきていて、その間に大きな事故は一度も起こしていません。
日本の技術の高さを証明するような存在ですが、いったんこのリーダー的な技術グループの手を離れると、JCOにしろ動燃にしろ、原子力に関する認識があまりにも弱かったようで、日本の課題は、原子力技術をこういう中間層に浸透させることなのかも知れません。

原子炉の原理はウランやプルトニウムが核分裂を起こした時の熱を取り出して水蒸気を発生させタービンを回して発電するものです。
この時核分裂を続行させる為には核分裂した時に飛び出した中性子の速度を落とした上で他のウランやプルトニウムの原子にぶつける必要があるため、速度を落とすための減速材というものが使用されます。
この減速材の材料によって、原子炉は黒鉛炉・軽水炉・重水炉に分類され、軽水炉は構造によって加圧水型と沸騰水型に分類されます。

黒鉛炉は初期に開発されたものですが、現在はもう国内では使用されていません。
軽水炉はアメリカが強く日本に売り込んで来たもので日本の原子炉のほとんどを占めます。
加圧水型炉は現在、北海道電力・関西電力・四国電力・九州電力・日本原子力発電(敦賀2号機)で使用されているとのことです。
その他が沸騰水型を使用しています。
沸騰水型は単純な構造で、減速材として使った水そのものを蒸気に変えタービンを回します。
これに対して加圧水型は減速材として使った水は単に熱を持たせるだけで、それに隣接させた蒸気発生器の水が蒸発したものでタービンを回します。
当然加圧水型の方が安全度が高いようですが、複雑になる分だけ事故発生率も高くなるという面もあります。
(ここでいう「事故発生率」とは現実の事故の発生頻度を言っているのではなく、あくまで構造からくる理屈上の確率のことです。実際には原子力関係の事故のほとんどは、構造・設計上の問題より、津波・地震等の自然災害に対しての人為的なミスや一般的な人為的ミスにより発生しています。)

軽水炉の欠点は減速材として使用した水が中性子を吸収してしまうことで、このためどうしても効率の悪い原子炉になってしまいます。
この普通の水の代わりに重水(原子核の重さが通常の水素の倍ある重水素でできた水)を使うとそれを回避することができ、結果的に軽水炉より燃えにくい核燃料でも燃やすことができます。
この系列に所属するものが「ふげん」で新型転換炉と呼ばれています。
しかし新型転換炉はあくまで過渡的な技術であり、次に述べる高速増殖炉が実用域に達するまでのつなぎに過ぎませんでした。

また、「プルサーマル」といって、従来型の原子炉でも燃えにくい燃料をMOXという形に加工して燃やす技術が開発されたため、まさに「ふげん」で開発していた技術は意味のないものになってしまいました。

「もんじゅ」は原子力発電のたどりつくべき姿とされる「高速増殖炉」で、ウラン235やプルトニウムを燃やした結果、核燃料の中に含まれるウラン238が中性子を吸収してプルトニウムに変わり、結果的に燃やした燃料よりも多くの量のプルトニウムが得られるという「夢の原子炉」です。
戦後間もない頃から各国で研究されており、その実験炉の「常陽」はもう20年間も運転を続けていますが商業レベルで使える炉として初めて作られた「もんじゅ」は運用開始後わずか4ヶ月で大きな事故を起こしてしまいました。

(天然ウランの中には大量のウラン238と微量のウラン235が含まれている。核燃料の精製とは、このウラン235の濃度をあげて核分裂が起きるようにする工程である。通常使いものにならないウラン238が燃料に転換できると、核燃料調達のコストも飛躍的に小さくなる)

相次ぐ事故に「ふげん」も「もんじゅ」も廃止せよという声も上がりましたが、もう技術的な役割を終えた「ふげん」は廃止が当然です。
しかし「もんじゅ」は次世代のエネルギー源が確立するまで日本のエネルギーを支えるためにどうしても必要な技術の開発をしている原子炉です。
そして事故の実態を見ると手抜き工事や運用管理の甘さが一番の問題のようです。
ここはもう一度安全対策を見直し、しっかりした運用体制を築き直して早く運転再開すべきところでしょう。

「原子力発電所が本当に安全だというのなら皇居の隣に作ったらどうだ」という議論がありますが、ほんとに皇居の中に作ってもいいくらいの安全対策を取るべきです。
それとともに少しでも早く次世代のエネルギー源のための技術開発研究を進めるべきでしょう。

「もんじゅ」「ふげん」の命名者はかつて動燃の理事長も務めた清成迪氏ですが、氏は知恵の仏・文殊菩薩や慈悲の仏・普賢菩薩にあやかり、人間の知恵と慈悲の力によって危険で凶暴な原子力をコントロールすることを願いこの名前を付けました。
太古の人類が火をコントロールすることによって新しい道を見いだしたことと同じです。
清成氏の理想が早く実現することを祈りたい思いです。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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