戻る ▲トップページ

10月27日 世界新記録の日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
センブリ(イヴニングスター)平安・ほっと安心     ×
ツリフネソウ  安楽・私に触れないでください・詩的な愛○
ナナカマド     怠りない心・慎重・賢明・用心
          私と一緒にいれば安心       ○
ノバラ(野バラ)  詩                ○
バラ(ブライアーローズ)楽しみと苦痛         ×

∞…∞10月27日・今日という日 ∞…∞

藍川りの (桑原彩美)   (1982)  タレント
塚本高史   (1982)  俳優
大菅小百合   (1980)  スピードスケート
渡辺剛太   (1980)  タレント、レム色
勅使川原郁恵   (1978)  スケート、ショートトラック
鈴木大輔   (1978)  day after tomorrow、Key.
小西真奈美   (1977)  女優
山本麻生   (1977)  女優
植松真実   (1977)  女優
山本崇史   (1975)  PaniCrew
MAKIDAI   (1975)  EXILE
手塚ちはる   (1974)  声優
平井 博   (1974)  タレント、イヌがニャーと泣いた日
セーム・シュルト   (1973)  空手家
江崎まり   (1973)  歌手
貴ノ浪貞博   (1971)  相撲
横山みゆき   (1969)  歌手
田中 実   (1966)  俳優
高嶋政伸   (1966)  俳優
広田恵子   (1965)  女優
金丸淳一   (1962)  声優
谷川真理   (1962)  マラソン
渡辺いっけい   (1962)  俳優
田口智治   (1962)  元C-C-B
山村紅葉   (1960)  女優
鄭 夢準 (チョン・モンジュン)   (1951)  大韓サッカー協会会長
堀内孝雄   (1949)  歌手、アリス
鹿野浩四郎   (1947)  キャスター、司会者
二階堂有希子   (1940)  声優
たかたかし   (1934)  作詞家
半村 良   (1933)  作家
ロイ・リキテンシュタイン   (1923)  画家
大屋政子   (1920)  タレント
ディラン・トーマス   (1914)  詩人
渡辺はま子   (1910)  歌手
大野一雄   (1906)  舞踏家
斎藤 実   (1858)  政治家
セオドア・ルーズベルト   (1858)  アメリカ大統領
琳瑞   (1830)  僧侶
ニッコロ・パガニーニ   (1782)  バイオリニスト
ジェームズ・クック   (1728)  探検家

 ○ 空海、死後弘法大師の名をおくられる(927)
 ○ 徳川家康、大坂城で秀吉と会見(1586)
 ○ 寛政の改革、書籍出版取締令に及ぶ(1790)
 ○ 安政の大獄で吉田松陰ら刑死(1859)
 ○ 秋月の乱(1876)
 ○ 横浜で日本初の近代的上水道水開始(1887)
 ○ 浅草・凌雲閣に日本初のエレベーター設置。12階(1890)
 ○ 東京中央放送局、初めて海外に電波を送る(1930)
 ○ 渡辺選手、小児マヒを克服し国体出場を果たす(1969)
 ○ 日刊ゲンダイ創刊で駅売り夕刊ブーム到来(1975)

読書週間
1924年(大正13年)に図書館の利用PRを目的に始められた「図書館週間」を母体に1933年(昭和8年)には東京書籍商組合主催の「図書祭」に改称され、1947年(昭和22年)からは図書週間実行委員会の主催で「読書週間」と改称した。
翌1948年(昭和23年)からは「文化の日」にまたがる2週間に期間が延長され、1959年(昭和34年)には読書推進運動協議会が主催団体となった。

文字・活字文化の日
2006年に制定された文字・活字文化振興法に盛り込まれた記念日で、読書週間初日の10月27日を「言語力」を育てるための日とされている。

テディベアズ・デー
テディベアの名前の由来となったアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日。
イギリスのテディベアコレクターの間で始められ、世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。
日本では日本テディベア協会が1997年から実施。1902(明治35)年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛けたが、獲物が得られなかった。
そこでおつきの人が、同行していたハンターが追いつめ木につないだ熊へのとどめの一発を大統領に頼みましたが、「疲れ果て木につながれた熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として大統領はこれを拒否した。
このことが同行していた新聞記者によって記事とされこの模様を描いた挿絵と共に新聞に掲載されるとこれが評判となった。
このエピソードに因んで翌年、ニューヨークのおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみに、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて発売した。
その頃、ドイツのシュタイフ社の熊のぬいぐるみが大量にアメリカに輸入されたこともあって、熊のぬいぐるみのこの名前が広まった。

世界新記録の日
1931(昭和6)年、神宮競技場で行われた体育大会で、日本初の世界新記録(南部忠平の走り幅跳び7m98、織田幹雄の三段跳び15m58)が誕生した。

松陰忌
長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰の1830〜1859(文政13〜安政 6)年の忌日。
安政の大獄で捕えられ、この日(10/27)に処刑された。



テディ・ベアの日(10.27)
10月27日は「テディ・ベア」の名前の元になったTheodore Roosevelt大統領(第26代,在職1901-1909)の誕生日(1858)で、これにちなんで「テディ・ベアの日」になっています。

1902年11月14日、大統領はミシシッピ州とルイジアナ州の州境争いの調停のために同地に向かい、親睦を兼ねてLittle Sunflower River 近くでハンティングを楽しみました。
ところが大統領の獲物はゼロ。すると地元の人が、そういう場合を想定して用意しておいた小熊を連れてきて「大統領、これを仕留めて下さい」と言いました。ところが大統領はそれを拒否します。
「私は抵抗できないものを撃ったりはしない」という弁が、周囲の人たちを感銘させました。
大統領は子熊を森に放してあげました。

この話を聞いたワシントンポストの風刺漫画作者Clifford K. Berrymanはこのエピソードを早速1コマ漫画にして新聞に掲載しました
(題名は「Drawing the Line in Mississippi」で州境争いの問題に掛けている)。

ニューヨークのBrooklynで酒場を営んでいたMorris Mitchom, Rose Mitchomの夫婦は、この記事を目にして客寄せに2頭の子熊のぬいぐるみを作り店の入口に飾ります。
すると、酒場を訪れる客の中でこの熊が欲しいという人が続出、夫婦はせっせとぬいぐるみを作っては客に売っていたのですが、その内こちらの売上の方が酒場の売上より大きくなってきたため、とうとう酒場をたたんで、おもちゃ屋さんを作り、人を雇って大々的に作り始めました。

一方、ドイツのMargarete Steiffは、以前からおもちゃ屋さんを営んでいましたが、この時期新しいおもちゃを作ろうとネタ探しに動物園に行っていて、子熊のぬいぐるみを作ることを思いつきます。
彼女はこれをライプチヒのフェアで出品しますが最初は全然売れませんでした。
ダメかなと諦めかけていた所に、たまたまアメリカ人の商人が通りかかり、本国でちょうどMitchomの子熊が話題になっていたことから、これも売れると直感。その場で3000個もオーダーしました。

このMitchomの会社と、Steiffの会社がテディベアのルーツです。
なお両社の子熊人形は特に名前は付いていませんでしたが、1906年にPlaythings Magazineが、この子熊人形のルーツはルーズベルト大統領のエピソードだということで、大統領の愛称 Teddy を採って「Teddy Bear」の名前が生まれました。






で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




▲このページの先頭へ戻る
 戻る ▲トップページ