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11月25日 ハイビジョンの日(郵政省)(1125は走査線数)、憂国

花ノ名前      花ことば            誕生花として
ウルシ       頭脳明晰             ×
キンモクセイ    謙遜・真実            ○
セントポーリア   小さな愛・小さな心・深窓の美女  ○
パンパスグラス   光輝・人気            ○
リュース・コチナス 賢明               ○

∞…∞11月25日・今日という日 ∞…∞

壁谷明音   (1990)  ピポ☆エンジェルズ
鎌倉 健   (1984)  野球
伊藤淳史   (1983)  タレント、俳優
CHIKA   (1980)  dps
椎名林檎   (1978)  シンガーソングライター
伊藤俊吾   (1976)  キンモクセイ、Vo.
阿久津健太郎   (1976)  元 ZERO
真田マキ子   (1972)  体操、タレント
塚地武雅   (1971)  タレント、ドランクドラゴン
高橋美鈴   (1971)  アナウンサー
高津臣吾   (1968)  野球
中井和哉   (1967)  声優
真琴つばさ   (1965)  女優
寺門ジモン   (1962)  タレント、ダチョウ倶楽部
坂口博信   (1962)  ゲームクリエイター
佐々木麻美子   (1961)  元PIZZICATO FIVE
又野誠治   (1960)  俳優
ジョン・F・ケネディ Jr.   (1960)  雑誌編集長
赤坂泰彦   (1959)  タレント、ディスクジョッキー
岡田彰布   (1957)  野球
トニー・ブリューワ   (1957)  野球
赤星昇一郎   (1955)  タレント、俳優、怪物ランド
三浦みつる   (1953)  漫画家 「The かぼちゃワイン」
結城しのぶ   (1953)  女優
コモエスタ八重樫   (1951)  パノラママンボボーイズ
大地康雄   (1951)  俳優
遠藤ミチロウ   (1950)  スターリン、Vo.
清水 仁   (1950)  元オフコース、Bass
市川 準   (1948)  映画監督
中村啓子   (?)  声優
太田博之   (1947)  俳優
多田そうぺい   (1945)  元 殿さまキングス
高松しげお (晴乃タック)   (1943)  俳優、タレント
坂本スミ子   (1936)  女優
若羽黒朋明   (1934)  相撲
佐藤純彌   (1932)  映画監督
土屋弘光   (1932)  野球
吉本隆明   (1924)  思想家
山本忠司   (1923)  建築家
武村耕靄   (1918)  画家
ジョー・ディマジオ   (1914)  野球
米川正夫   (1891)  ロシア文学者
大錦卯一郎   (1891)  相撲
添田唖蝉坊   (1872)  壮士演歌師
堺 利彦   (1870)  ジャーナリスト、作家
カール・ベンツ   (1844)  実業家
アンドリュー・カーネギー   (1835)  アメリカ鋼鉄王
銭屋五兵衛   (1773)  商人
狩野孝信   (1571)  画家
後朱雀天皇   (1009)  天皇

 ○ 武将熊谷直実、出家して蓮生坊となる(1192)
 ○ 毛利元就、同隆元・吉川元春・小早川隆景に一心協力を訓戒する(1557)
 ○ 伊能忠敬が第2回の九州測量に旅立つ(1811)
 ○ 第一回帝国議会召集(1890)
 ○ 戦艦「長門」完成(1920)
 ○ 天皇の脳の病により皇太子裕仁が摂政に就任(1921)
 ○ 鉄道車両にストリームライナー(流線型)登場(1934)
 ○ 日独防共協定、ベルリンで調印(1936)
 ○ 東京裁判所で阿部定事件の第1回公判が開かれる(1936)
 ○ 第一回共同募金開始(1947)
 ○ 東京会館でパリのデザイナー、クリスチャン・ディオールのファッション・ショーが開催され、ディオール旋風が起る(1953)
 ○ 新宿西口広場完成(1966)
 ○ 作家の三島由紀夫、楯の会メンバーと東京・市ヶ谷の自衛隊に乱入。クーデターを訴えたが失敗し、隊内で割腹自殺。45歳。憂国忌(1970)


天神縁日
天神様の縁日(毎月25日)

OLの日
働く女性の異業種間交流サークル「OLネットワークシステム」が1994年(平成6年)に制定。

ハイビジョンの日
郵政省、NHKなどがハイビジョン(高品位テレビ)の普及を図るために設けた日。
ハイビジョンの走査線の数が1125本のため、11月25日としたもので、1987年(昭和62年)に制定している。

女性に対する暴力廃絶のための国際デー
1999(平成11)年12月17日の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1961(昭和36)年、ドミニカ共和国の政治活動家であったミラバル3姉妹が、ドミニカの支配者ラファエル・トルヒジョの命令により惨殺されました。

憂国忌
1970年のこの日、市ヶ谷の自衛隊に楯の会メンバーと乱入、クーデターを呼びかけ、割腹自殺した作家の三島由紀夫の命日。




三島由紀夫の割腹(1970)
1970年11月25日、作家の三島由紀夫が、自ら主宰する楯の会のメンバー4名を率いて市谷の陸上自衛隊駐屯地、東部方面総監部に押し入りました。
三島らは制止しようとする自衛隊員らと格闘、七名の自衛隊員に重軽傷を負わせた上で総監を監禁。
そして1号館バルコニーで国の現状を憂い、自衛隊隊員たちに決起を訴える演説をします。
そして午後0時15分頃、三島は楯の会学生長森田必勝に介錯されて割腹自殺しました(直後森田も割腹自殺)。

『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは白明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう/今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる/もしおれば今からでも共に起ち共に死のう』

素人にやすやすと侵入された自衛隊の体制に大いに疑問と不安を抱いたものです。
大阪万博・よど号ハイジャック事件・などこの年は日本が「戦後」の呪縛から解かれて新しい時代に入った転換の年であったように思います。
この年佐藤栄作首相が4選。
当時の防衛庁長官は中曽根康弘氏でした。

楯の会は1966年頃、三島が早朝マラソンで知り合った学生たちとともに結成したものです。
正式発足は68年10月。彼らはその後何度も自衛隊に体験入隊をし、また空手・居合いなどの訓練を続けていました。
国を憂う人たちは多かったでしょうが、三島らは急ぎすぎたのでしょうか。
私は三島の行動を狂気とは思いませんが、軍隊を動かして物事を変えようとする方法論には疑問があります。
三島は作家という立場上、軍ではなく民を動かす力を持っていたのに、なぜその方法を放棄したのか、残念でなりません。

三島由紀夫は大正14年(1925)1月14日東京に生まれました。
学習院高等科を経て東京帝大に入学。
在学中に処女作品集『花ざかりの森』を発表。
これは順調な売れ行きをあげて、作家としてさい先のいいスタートを切りました。

戦後川端康成・太宰治らと親交しながら精力的に作品を発表し続けます。
大学卒業後は大蔵省に入りますがこれはさすがに作家活動との両立ができずまもなく辞職。
作家一本で生きていくことになりました。

昭和24年『仮面の告白』を発表して世間に衝撃を与え、昭和29年には牧歌的な『潮騒』で別のファン層を開拓、昭和31年の『金閣寺』で円熟の極みを見せつけます。

そして昭和41年には二二六事件に取材した『英霊の声』を世に問い、同じ頃、昭和40年から『豊饒の海』を連載開始、この最終完結原稿は自衛隊突入の日、昭和45年11月25日当日に新潮社に渡されました。

『庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている』



ハイビジョンの日(11.25)
11月25日はハイビジョンの日です。
これは郵政省(当時)とNHKが1987年に定めたもので、当時のハイビジョンの規格で定められた「走査線」の数 1125本に由来しています。

アナログ放送の画像は、横に走る多数の線により構成されています。
ブラウン管のビーム銃は、横向きに左から右へと首振りしながらこの走査線を再現し、右端まで行ったら次の走査線の左端に戻ります(水平帰線)。
そして一番下の右端まで行くと一番上の左端に戻ります(垂直帰線)。

従来のアナログ放送は、この走査線の数が525本でしたので1125本にすると約倍の解像度が得られ、美しい画面を見ることができたのです(アナログ放送では「インターレース」という技術を使うため走査線の数は奇数にする必要がある)。

ところが時代はアナログからデジタルへ。

ということで、この1125本アナログのハイビジョンは全く普及しないまま2007年で終了しました。

現在それに代わってデジタルハイビジョンの放送が始まっています。
これはパソコンの画面と同様に画像を線ではなくドットで表現する方式であり、1080iという方式と720Pという方式がありますが、1080iの方が標準となっています。
1080iはインターレース方式で、1920×1080ドット、720Pはプログレッシブ方式で、1280×720ドット、となっています。
しかし実は1080iの高解像度を実現するための撮影機器は放送局や番組製作会社にも実はあまり普及しておらず、現状ではせっかくの規格を生かすだけの環境になっていません。
これは今後数年での機器の開発の進展を待たなければなりません。

ハイビジョンの画像規格はアナログもデジタルも、横と縦の比率が16:9(1.777)になっています。
これは映画のビスタサイズと同じ比率で、従来のテレビが4:3(1.333)であるのに対してかなり横長になっており、ハイビジョン対応のテレビは基本的に今までより横長の形をしています。

そのため、アナログハイビジョン放送が始まった時に、それに対応したテレビはその今までのテレビのイメージから離れた、異様な風体が注目されたものです。

それに便乗して出てきた若干不可解な商品が「ワイドテレビ」でした。
これはハイビジョンに対応していないにも関わらず、画面の比率が16:9なので通常放送を見ていると、全ての番組が、横に伸ばされる(スクイーズ)か、左右に黒い帯が出た状態(レターボックス)あるいは上下を切った状態(パンスキャン)でしか見られないので、とても不便でした。

むろんテレビを見るより映画のビデオ見る方が多いという人には素敵な商品です。

また、ワイドテレビはハイビジョン放送が普及してきた時点で、ハイビジョンのチューナーを買い、接続すればハイビジョン映像がそのままの「比率」で見られるのですが、ハイビジョンの「品質」を得るにはD3端子(1080i用)またはD4端子(720P用)を装備していなければ無理です。

ただしD3端子を持っているワイドテレビであろうと、或いはデジタルハイビジョンチューナー内蔵の「ハイビジョンテレビ」であろうと、そのテレビの表示能力が低ければ「ハイビジョンの品質」は得られません。

この分野の商品は、買う時は良く調べてから買った方が良いです。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ





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