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11月30日 カメラの日、みその日(全国味噌工業協同組合連合会1982 毎月)
     そばの日(日本麺業団体連 毎月末日)、鏡の日、シルバーラブの日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アシ        神の信頼・音楽          ○
カレハ(枯葉) メランコリ−・ロマンチック・新春を待つ○
ユーチャリス    清らかな心            ○

∞…∞11月30日・今日という日 ∞…∞

満島ひかり   (1985)  Folder 5
宮崎あおい   (1985)  女優
小名川高弘   (1979)  CHARCOAL FILTER、G.
斉藤和巳   (1977)  野球
四位洋文   (1972)  競馬騎手
橋爪浩一   (1972)  俳優
仲居辰磨   (1972)  元DEEN、G.
アベル・ルイス・シャビエル・シルバ・コスタ   (1972)  サッカー
南山本春 (山本純二)   (1972)  漫画家
街田しおん   (1971)  女優
MASASHI   (?)  CASCADE、G.
佐藤恵美   (1969)  タレント
松本梨香   (1968)  声優
田中 章   (1967)  タレント、プリンプリン
ミカ・サロ   (1966)  レーサー
秋篠宮文仁   (1965)  皇族
柳家喬太郎   (1963)  落語家
相島一之   (1961)  俳優
ゲーリー・リネカー   (1960)  サッカー
杉浦日向子   (1958)  作家、漫画家
田口トモロヲ   (1957)  俳優
花井愛子   (1956)  作家
紅龍   (1956)  上々颱風、Vo.
北原由紀   (1952)  歌手
三貴哲成 (三好鉄生)   (1951)  歌手
神田 紫   (1951)  講談師
江戸屋小猫   (1949)  声帯模写
武藤まき子   (1945)  レポーター
井上真樹夫   (1940)  声優
亀石征一郎   (1938)  俳優
千々松幸子   (1937)  声優
リドリー・スコット   (1937)  映画監督
松山容子   (1937)  女優
土井たか子   (1928)  政治家
林家三平 (三代目)   (1925)  落語家
玉ノ海梅吉   (1912)  相撲
田村泰次郎   (1911)  作家
金子薫園   (1876)  歌人
長谷川如是閑   (1875)  評論家
ウィンストン・チャーチル   (1874)  イギリス首相
ルーシー・モンゴメリー   (1874)  作家
マーク・トゥエイン   (1835)  作家
クリスチャン・ドップラー   (1803)  物理学者
高橋至時   (1764)  天文学者
ジョナサン・スウィフト   (1667)  作家

 ○ 初めての対等条約、メキシコとの修好通商条約を締結(1888)
 ○ 北里柴三郎、福沢諭吉の援助を得て芝公園内に木造2階建ての「大日本私立衛生会伝染病研究所」設立(1892)
 ○ 日本ラグビー協会設立(1926)
 ○ 東京都首都圏衛生局、初めてのスモッグ警報(1965)
 ○ 金田正一引退(1969)
 ○ 32年ぶりにアメリカ軍立川基地を全面的に返還(1977)
 ○ 世界初の自動焦点カメラ「コニカC35AF」発売(1977)
 ○ 日本学術会議で、初の女性会員誕生(1980)
 ○ キャプテンシステムが実用化になる(1984)
 ○ オランダで世界初安楽死法成立(1993)

シルバーラブの日
1948(昭和23)年、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。
当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動でしたが、養子に連れ戻された。
その後2人は結婚した。
川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから「老いらくの恋」が流行語になった。

カメラの日
1977年(昭和52年)に小西六写真工業(当時)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラコニカC35AFを発売したことによる。
「ジャスピンコニカ」呼ばれ、人気を博した。

鏡の日
「いい(11)ミラー(30)」の語呂合わせ。
鏡を大切にすることで、健康で美しい生活を目指す日。

祭日(ベニン)

ボニファシオ記念日(フィリピン)




カメラの日(11.30)
1977年11月30日に小西六写真工業(現コニカミノルタ)が、世界初のオートフォーカス(AF)カメラ「コニカC35AF」を発売したのを記念するものです。
コニカは「ジャスピン(ジャストピント)コニカ」の愛称でこのカメラを大きく宣伝し、それまでカメラを扱うのに尻込みをしていた女性層にこのシステムは受け入れられました。

コニカはこれに先立つ1963年4月には世界初の自動露出(AE)カメラ「コニカAutoS」を世に送り出しています。

AutoSが出現する以前のカメラでは、撮影するのに、フレームで対象を捉えて、シャッター速度、絞り、そして焦点という3つの要素を合わせて撮影しなければならなかったので、そういう専門知識のない人には訳の分からないものでした。
しかしAEカメラが出たことで、とにかくピントさえ合わせれば、絞りとシャッター速度はカメラが自分で調整してくれるということになり、カメラは専門家でなくても誰でも扱えるものとなりました。

アメリカではこういう素人でも扱えるカメラというのを「休日に気軽に持ち出して使えるカメラ」というので Vacation Camera と呼ぶようになり、このことばがそのまま日本語に輸入されてローマ字読みされ「バカチョン・カメラ」ということばがうまれます。
だいたいそんな動きがあったのが1960年代後半でしょうか。

ところがこのことばは後に「馬鹿でもチョンでも扱えるカメラ」という意味だと誤解されてしまい、差別語だと騒ぐ人たちが出てきて、マスコミが使用を控えるようになり、結果的には、文章に書くのは禁句のような扱われかたをしています。
が、日常会話ではみんなあまり深く意味を考えないまま使われ続けているようです。

しかし1960年代に流行したこの Vacation Camera のおかげで、画面が暗すぎる写真・明るすぎる写真は追放されたものの、ピンボケの写真は大量に生み出されていました。
そこに登場したのが、1977年のこの自動焦点カメラで、AEとAFを搭載することで、人々はただフレームを合わせてシャッターを押すだけでまともな写真が撮れるようになったのでした。

現在販売されているカメラはある程度以上の価格のものは自動焦点方式、安いもの(レンズ付きフィルムなど)はもうひとつのピントがずれない方式「固定焦点(Panfocus)方式」で作られています。
(絞りを絞り込んで焦点の合う範囲を広げたもの。ISO400程度の高感度フィルムで使うと近くの人物から遠くの背景まで全てに焦点が合ってしまう。但しきちんと焦点合わせしたものほどクリアな画像ではない)




スウィフト(ガリバー旅行記)
『ガリバー旅行記』で知られるスウィフト(Jonathan Swift)は、1667年11月30日、アイルランドのダブリンで生まれました。

イングランドに出て政治家の秘書などを務めますが、のち英国国教会の司祭に叙任、その傍ら詩作や風刺文学などを書くようになりました。

代表作『ガリバー旅行記』は1726年の作品。小人の国/巨人の国/変わり者の国/馬の国、と旅する、作者と等身大の主人公を通して、生きる価値について考えさせてくれます。

この変わり者の国には家を土台から屋根へと建てるのではなく先に屋根から作るにはどうすればいいか?
などと悩む変な学者などが出てきます。
また、不死の人間というものも出てきます。この国からの帰り道に日本がチラっと出ているのは有名な所。

コンピュータ内部の数字の記録方法に関する Little Endian (Intel-86方式),Big Endian (Motorola-68方式) という言葉はこのガリバー旅行記小人の国の戦争の原因に由来しています。
この戦争の発端は、卵を細い方から食べるべきか、太い方から食べるべきか、というものでした。

ガリバー旅行記は、子供向けの本ではしばしば巨人の国までで止まってしまっていますが、この小説の真意は変わり者の国を読んで初めて分かり、作者の理想は馬の国で提示される仕組みになっています。

しかし確かに馬の国はそのまま子供に読ませるには少々刺激が強すぎるかも知れません。
この付近を書いた頃、スウィフトは少しおかしくなっていたのではないか、という説もあります。

その馬の国では、フーイナム(Houyhnhnm)と呼ばれる馬の姿をした生物が高い知能を持っており、同じ国に、ヤフー(yahoo)という人間の姿をした野獣が出てきます。
ガリバーは馬の姿のフーイナムたちに、知性を持ったひじょうに珍しいヤフーとして迎えられます。

フーイナムたちは凶暴なヤフーに手を焼いており、最後は彼らを絶滅させるため、雄と雌を強制隔離して、もう子供ができないようにしてしまいます。
そのとき彼らは特別なヤフー<ガリバー>の扱いに困り、ガリバーもそれを潮時としてその国を後にします。

この小説の影響で「ヤフー」という単語は凶暴な人間とかならず者といった意味合いの半一般名詞となりました。

覆面作家・沼正三の「家畜人ヤプー」はこの単語をベースに、動物を人間以上に大事にしているどこかの人々を少し皮肉り、白人至上主義と強烈なSMの世界、そして古代日本神話とをリンクさせて独特の世界を構築しました。

残念ながら、私にはこの原作はとても読めませんでした。
漢字があまりにも難しすぎてギブアップしました。
ということで、私は石ノ森章太郎さんのマンガと、あとはあちこちで目にした書評からしかこの作品の実際の内容を伺い知ることはできません。
漢字に強い人でSMに抵抗感の無い方はぜひ挑戦してもらいたいものです。
占いやオカルトに関わる人にとっては読む価値のありそうな本です。

でも特に男性の方で、SMに心理的抵抗のある方にはお勧めできません。

さて、昔「ヤフー」という言葉から連想するもの、と人に質問したら沼正三の小説しか反応が帰ってこなかったと思うのですが、現在では、この言葉から多くの人が連想するのは、大検索サイト Yahoo! です。

この言葉はしばしば誤解している人がいるようにかけ声の「ヤッホー」ではありません。
「ヤッホー」は yo-ho であり(確かに yahooと書くこともある)これはやはり「ヤフー」です。

これはヤフーの開発者の David Filo と Jerry Yang が自らを「ならず者」と謙遜したことから始まるとのことです。
Yahooのもうひとつの(外向きの)説明は Yet Another Hierarchical Officious Oracle というものです。
このあたりの詳しい説明は、Yahoo!のサイトでご確認下さい。

Yahoo!の最初のバージョンが動いていたマシンの名前が Akebono と Konishikiであったというのも有名な話ですね。
これは開発者が相撲ファンだったからとのこと。

なお、スウィフトは『ガリバー旅行記』のあとも、詩やエッセイを多数発表し、1745年に亡くなっています。



で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ





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