戻る ▲トップページ

2月 3日 まめまき、のり巻きの日(節分の日。全国海苔貝類漁業協同組合連合会1987)
     節分(雑節のひとつ。季節の移り変わる時。立春の前日)


花ノ名前      花ことば            誕生花として
アワナズナ     君に捧げる            ○
タネツケバナ 勝利・不屈の心・情熱・熱意・燃える思い ○
タネツケバナ(アワナズナ) 情熱・熱意        ×
ツバキ(赤)    気取らない優美・気取らぬ魅力   ○
ヒイラギ      機智・剛直・先見・用心      ○
シキザキベゴニア(四季咲きベゴニア)愛の告白・片思い ×
タネツケバナ    勝利               ×
ビオラ(小型パンジー) 私のことを思って        ×

∞…∞ 2月3日・今日という日 ∞…∞

榎本雄太   (1981)  タレント
川島 明   (1979)  タレント、麒麟
牧原由貴子   (1978)  競馬騎手
ACO   (1977)  歌手
Tina   (1975)  歌手
有田哲平   (1971)  タレント、くりぃむしちゅー(海砂利水魚)
彩花みん   (1969)  漫画家 「赤ずきんチャチャ」
松本小雪   (1966)  タレント、イラストレーター
松井 秀   (1965)  アナウンサー
鳳巳 乱   (1964)  漫画家
川合俊一   (1963)  タレント、バレーボール
ケリー・フォン・エリック   (1959)  プロレス
小西康陽   (1957)  元PIZZICATO FIVE
玉本光男   (1955)  元フィンガー5
烏丸せつこ   (1954)  女優
根岸季衣   (1954)  女優
山口美也子   (1952)  女優
津雲むつみ   (1952)  漫画家 「おれは男だ!」「風のロンド」
南条 豊   (1952)  俳優
矢玉四郎   (1944)  作家
旭 五郎   (1944)  タレント、東京ボーイズ
ヒサクニヒコ   (1944)  漫画家
福本清三   (1943)  俳優
城之内邦雄   (1940)  野球
小澤さとる   (1936)  漫画家
大伴昌司   (1936)  映画評論家、SF作家
秋山 登   (1934)  野球
稲垣瑞雄   (1932)  作家
品田雄吉   (1930)  映画監督
鉄砲光三郎   (1929)  歌手
鴨居 玲   (1928)  画家
高橋二三   (1926)  脚本家
石本美由起   (1924)  作詞家
檀 一雄   (1912)  作家
八木保太郎   (1903)  脚本家
橘 間石   (1903)  俳人
ノーマン・ロックウェル   (1894)  イラストレーター
諸口十九   (1891)  俳優
木村荘太 (木村艸太)   (1889)   作家
小栗風葉   (1875)  作家
二葉亭四迷   (1864)  作家
西 周   (1829)  洋学者、思想家
河竹黙阿弥   (1816)  歌舞伎作者
フェリックス・メンデルスゾーン   (1809)  音楽家

 ○ 鶴岡八幡宮が焼失(1296)
 ○ 光悦忌 書家・工芸家の本阿彌光悦の1637(寛永14)年の忌日。
 ○ 普請奉行大岡忠相が江戸南奉行に抜擢され、官職名を越前守と改める(1717)大岡越前の日 大岡越前守忠相が南町奉行就任
 ○ トルコから独立、ギリシア王国が成立(1830)
 ○ ジョン万次郎、10年ぶりに帰国 (1851)
 ○ 幕府、アメリカ軍艦の見物を禁止(1854)
 ○ 出口ナオ、京都府綾部で大本教開教(1892)
 ○ 福沢諭吉、死去。66歳(1901)
 ○ マッカーサー元帥、憲法3原則をGHQ民政局に指示(1946)
 ○ 若乃花幹士、第45代横綱昇進(1958)
 ○ ケネディ大統領が対キューバ全面禁輸を指令(1962)
 ○ ソ連無人探査機「ルナ9号」人類初の月面軟着陸成功(1966)
 ○ 札幌で第11回冬季オリンピック開催(1972)
 ○ ジュディ・オングの日(1990)アメリカ・ネバダ州が制定 歌手で女優のジュディ・オングが文化の架け橋として活躍したと、1990年(平成2年)にアメリカネバダ州が制定。

二十四節気・雑節等 節分
雑節 節分 「季節を分ける」ことから節分という。
本来は春夏秋冬全てに節分があるが、現在は春の節分だけを「節分」と呼ぶようになった。
かつては大晦日的な意味合いもあり、「鬼やらい」の行事が行われ、「節分の豆まき」として現在にも伝わっている。

のり巻きの日
1987年(昭和62年)に、海苔業者が制定した。
節分の夜に恵方に向かい太巻きを食べると幸福になるという言い伝えからこの日が生まれた。
太巻きはひとりで1本食べきるまで誰とも話してはいけないとか。
その年の恵方は西暦年の末尾1桁が、0,5なら西南西、1,3,6,8なら南南東、2,7なら北北西、4,9なら東北東となる。

大岡越前の日
1717(享保2)年、大岡越前守忠相が南町奉行に就任した。
「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名だが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけ。
8代将軍吉宗の信頼が厚く、享保の改革に協力。
後に寺社奉行等を経て、大名(一万石)にまでなった。

聖女スヤ・パの日(ホンジュラス)

節分(せつぶん)
本来、季節を分けることから「節分」といい、年の区切りの意味もある立春前の節分は特に重視され、現在はこの日だけを指すようになり、豆をまいて悪疫退散などの行事が行われます。
もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は、平安時代頃から行われている宮中での年中行事の「追儺」(ついな)から生まれました。
この日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったのが始まり。
それが近代から、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりするよう変化していったのだそうです。
関西地方で恵方巻(えほうまき)をにその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって食べる風習もある。

節分(せつぶん、せちぶん)
各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日。

豆撒き(まめまき)
炒った大豆(炒り豆)を撒き、蒔かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。
また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。
豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。
豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってさまざまで、鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。
ちなみに、家庭内での豆まきで、「鬼」の付く姓(比較的少数だが鬼塚、鬼頭など)の家庭では「鬼は内」の掛け声が多いという。

恵方巻(えほうまき)
節分に関西地方で多く食べられる巻き寿司で、「恵方寿司」とも呼ばれる。節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって目を閉じて願い事を思い浮かべながら、太巻きをまるかじり(関西弁では「まるかぶり」)するのが習わしとされている。
商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つともされ、七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




▲このページの先頭へ戻る
 戻る ▲トップページ