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3月17日 漫画週刊誌の日、世界海の日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
インゲンマメ(花) 喜びの訪れ・豊かさ        ×
エンドウ豆ノ花   必ず来る幸福           ○
カルセオラリア   御身に私の財産を捧げます
          私の伴侶・優美          ×
サンシュユ     持続・耐久・気丈な愛       ○
デージー(赤)   無意識              ○

∞…∞ 3月17日・今日という日 ∞…∞

古賀 恵   (1983)  ミュージシャン、素一
AYA   (1981)  Psycho le Cemu、G.
伊崎充則   (1977)  俳優
RYUJI   (1975)  FANTASTIC◇CRISIS、Bass
渕上 零   (1975)  イラストレーター
白鳥松竹梅   (?)  氣志團、Bass
丸茂太郎   (1972)  俳優
郷田真隆   (1971)  将棋棋士
パーシャ・グリシュク (オクサナ・グリシュク)   (1971)  フィギュアスケート
SHIHO   (1969)  タレント、歌手
新田恵利   (1968)  タレント
中村武志   (1967)  野球
渡辺 航   (1967)  俳優
ロブ・ロウ   (1964)  俳優
甲本ヒロト   (1963)  ザ・ハイロウズ、元ザ・ブルーハーツ、Vo.
小原 孝   (1960)  ピアニスト
春田純一   (1955)  俳優
寿ひずる   (1954)  女優
渡辺喜美   (1952)  政治家
村松邦男   (1952)  ミュージシャン
カート・ラッセル   (1951)  俳優
中村誠一   (1947)  ジャズサックス奏者
マギー司郎   (1946)  手品師
松尾嘉代   (1943)  女優
山本陽子   (1942)  女優
三重野康   (1924)  元日本銀行総裁
船越英二   (1923)  俳優
ナット・キング・コール   (1917)  ミュージシャン
三木武夫   (1907)  政治家
横光利一   (1898)  作家
三田村鳶魚   (1870)   江戸風俗研究家
角屋七郎兵衛   (1610)  貿易商人
立花道雪   (1513)  戦国武将

 ○ 天武天皇、「日本書紀」編纂を命じる(681)
 ○ 石山本願寺顕如が織田信長に降伏する(1580)
 ○ イタリア王国成立(1861)
 ○ 人力車、登場(1870)
 ○ 国会開設期成同盟結成(1880)
 ○ 太平洋戦争下、硫黄島の日本軍全滅(1945)
 ○ 公職選挙法成立(1951)
 ○ 首都高建設にあたり、数寄屋橋なくなる(1958)
 ○ 初の少年向け週刊誌「少年マガジン」「少年サンデー」創刊。創刊号の表紙を飾ったのは、いずれも当時人気のスポーツ選手。マガジンは第46代横綱・朝潮。サンデーは長嶋茂雄(1959)
 ○ 日本初の屋根付き球場「東京ドーム」の完工式(1988)
 ○ 千代の富士1000勝達成(1990)

漫画週刊誌の日
1959年(昭和34年)に日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊された。

セント・パトリックデー
アイルランドの守護聖人、セント・パトリックの祝日。アイルランドの国花の三つ葉のクローバーがシンボル。
それにちなみシンボルカラーの緑色のものを身に付けると幸福になれるとされる。

いなりの日
日本の食文化の中で多くの人に親しまれているいなり寿司を食べる機会を増やすきっかけを作ろうと、いなり寿司の材料を製造販売している株式会社みすずコーポレーションが制定。
日付はいなりのい〜なで毎月17日に。

国産なす消費拡大の日
4月17日の「なすび記念日」の17日を、毎月なすの消費を増やす日にしようと、冬春なす主産県協議会が2004年2月9日に制定した。

同窓会の日
懐かしい再会と感動の場である同窓会により多くの人々に参加してもらおうと、Web同窓会「この指とまれ!」などを運営する「株式会社ゆびとま」が制定。
日付は連休になる確率の高いことから毎月第3土曜日とした。

月斗忌
俳人・青木月斗の1949(昭和24)年の忌日。

薔薇忌
小説家・評論家の塩月赳の1948(昭和23)年の忌日。
太宰治の『佳日』のモデルで、塩月の死の3か月後に太宰が入水自殺しました。 評論集『薔薇の世紀』から薔薇忌と呼ばれます。


サマルカンド陥落(1220)
1220年の3月17日、モンゴル帝国の太祖チンギス・ハン(ジンギス・カン)はシルクロードの要所サマルカンドを陥れました。

チンギス・ハン(1167?1155?-1227)は現在のヘンティケン付近で生まれ、幼名をテムジンといいました。
1206年頃にモンゴルを統一、当初中国を侵略しますが、1219年から西方へ戦線を転換、西遼及びコラズム、そして西夏を滅ぼしてシルクロードを手中に収めます。

チンギス・ハンは1227年西江で死去しますが、彼の子孫たちは更に領土を拡大、孫の世祖フビライ・ハーン、パトゥ・ハーン、フラグ・ハーンはそれぞれ中国、ロシア、ペルシャに元、キプチャク汗国、イル汗国を建てました。
こうして、ユーラシア大陸の3分の2ほどのモンゴル大帝国が築かれます。

彼の生涯を元にして書かれた小説が井上靖氏の「蒼き狼」です。

大殺戮の申し子〜世界中を震撼させた破壊と殺戮の嵐〜
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works..

サマルカンド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3..

【チンギス・ハン=源義経説】

チンギス・ハーンは源義経と同一人物であるという説があります。
この説は荒唐無稽であると切り捨てる人も多いのですが、結構面白い説でもあります。

源義経は1159年生まれですので、ちょうどテムジンと年齢が一致しています。
彼が奥州で藤原一族に殺されたのが1189年となっていますので、この時密かに逃れてモンゴルで兵を上げ、1206年モンゴルを手中に収めたとすれば年代的にも、つじつまの合わないことはありません。
また源義経という文字を中国読みしますと、yuan-yi-jing となり、これが「テムジン」という名前と 似てないこともない、という人もあります。

源義経がチンギス・ハーンになったという伝説では、義経は藤原兄弟と図って義経襲撃のお芝居をし、身代わりの首を残して主従は頼朝の追求のないもっと北方へと旅立ちます。
八戸付近で彼を追ってきた妻の一人浄瑠璃姫と合流し、津軽半島から蝦夷地に渡り、さらに樺太を通ってシベリヤへ渡り、やがてモンゴルに落ち着いたとします。
八戸周辺および津軽の各地には現在も義経の足跡が残っているようです。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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