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3月18日 精霊の日、明治村開村記念日、頭髪の日(毎月)、米食の日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アイリス 愛・消息・あなたを大切にします・伝言
     優雅・恋のメッセージ・使者・変わりやすい  ○
アスパラガス    我が勝利・無敵・敵を除く・無変化 ○
トサミズキ     清楚               ○

∞…∞ 3月18日・今日という日 ∞…∞

小高早紀   (1983)  タレント
吉井 怜   (1982)  タレント
ISAKICK   (1981)  175R、Bass
鳥居みゆき   (1981)  タレント
アレクセイ・ヤグディン   (1980)  フィギュアスケート
霜鳥典雄   (1978)  相撲
竹下佳江   (1978)  バレーボール
東 直輝   (1978)  漫画家
黒田俊介   (1977)  コブクロ
RuRu (本多ルル)   (1976)  元 T&Cボンバー
大家友和   (1976)  野球
黒柳能生   (1972)  SOPHIA、Bass
高橋里華   (1972)  タレント
熊谷徳明   (1970)  元カシオペア、Dr.
芳本美代子   (1969)  女優、タレント
小池秀郎   (1969)  野球
三木眞一郎   (1968)  声優
松本友里   (1968)  タレント
米森麻美   (1967)  アナウンサー、元DORA
石森敏行   (1967)  エレファントカシマシ、G.
長谷川宏   (1967)  タレント、ティーアップ
ブライアン・ワッツ   (1966)  ゴルフ
洞口依子   (1965)  女優
かないみか   (1964)  声優
豊川悦司   (1962)  俳優
池沢理美   (1962)  漫画家
マット・ウインタース   (1960)  野球
村田雄浩   (1960)  俳優
リュック・ベッソン   (1959)  映画監督
マキ上田   (1959)  プロレス、ビューティーペア
アイリーン・キャラ   (1958)  歌手、女優
島崎俊郎   (1957)  タレント
池田裕子 (桐生ユウ子)   (1957)  アナウンサー、女優
田中幹保   (1955)  バレーボール
因幡 晃   (1954)  歌手
吉松 隆   (1953)  作曲家
奥田瑛二   (1950)  俳優
今宮 純   (1949)  カージャーナリスト
横山やすし   (1944)  漫才師
井沢八郎   (1943)  歌手
浅葉克己   (1940)  アートディレクター
ワダエミ   (1937)  ファッションデザイナー
富士錦章   (1937)  相撲
佐藤 允   (1934)  俳優
澤田隆治   (1933)  番組プロデューサー、元ずうとるび
フランク永井   (1932)  歌手
ジョン・アップダイク   (1932)  作家
小池朝雄   (1931)  俳優
宮川 泰   (1931)  作曲家
本岡昭次   (1931)  政治家
フィデル・ラモス   (1928)  政治家、フィリピン大統領
光瀬 龍   (1928)  作家
柴英三郎   (1927)  脚本家
松井由利夫   (1925)  作詞家
本堂保次   (1918)  野球
神代 錦   (1917)  女優
ガレッツォ・チアノ   (1903)  政治家、外交官
月形龍之介   (1902)  俳優
佐々木味津三   (1896)  作家
亀姫   (1560)  御前

 ○ パリ市民が蜂起。パリ・コミューンの発端(1871)
 ○ 北大医学部の越智貞見教授、初の角膜移植手術に成功(1926)
 ○ 初の国産飛行機、できる(1931)
 ○ 国民学校初等科を除き授業1年間停止決定(1945)
 ○ NATO結成(1949)
 ○ 文部省が小中学校の「道徳」の実施要綱通達(1958)
 ○ 早川電機(現、シャープ)とソニーが初の電卓を発表。一台50万円(1964)
 ○ 愛知県犬山市に明治村開村(1965)
 ○ ソ連がヴォスホート2号で人類初の宇宙遊泳(1965)
 ○ 江崎グリコ社長が誘拐される(1984)

明治村開村記念日
1965(昭和40)年、愛知県犬山市に博物館明治村が開村しました。博物館明治村は明治の建築物を保存展示する野外博物館です。

精霊の日
柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。

遊園地の日(西日本)(3月第3日曜日)

人丸忌,人麿忌
歌人・柿本人麻呂の忌日。4月の第2日曜日に明石の柿本神社で例祭が行われる。

小町忌
平安時代の歌人・小野小町の忌日。生没年は不詳。 『古今集』等の作者で、絶世の美女との伝説があります。


ディーゼル(1858-1913)
ディーゼルエンジンにその名を残す技術者、ディーゼル(Rudolph Diesel)は1858年3月18日パリに生まれました。
工業系の学校を卒業後1880年にパリの冷蔵会社リンデに入社、1890年にベルリン支店に異動、その間ずっと効率的な内燃エンジンの研究を続けます。
1892年に新しいエンジンの特許を取り、1897年その一号機を完成させました。
そしてその後アウグスブルグにて更なる改良に生涯をかけます。
1913年、彼はイギリス海軍省の招きでイギリスへ船で向かいますが、9月30日、船の上から突然失踪してしまいました。
一応何らかの事故により転落したものと推定されました。
翌年ヨーロッパは第一次世界大戦の渦に巻き込まれます。


世界初のトランジスタ電卓(1964)
1964年3月18日 早川電機(シャープ)が世界初のトランジスタ電卓を発売。
  CS-10A 535,000円。
なお、同日、ソニーもトランジスタ電卓MD-5 を発表していますが試作品の性格が強かったようで、商業的に販売したのは1967年の ICC-500 からのようです。
これは価格26万円。MD-5 は「数式通り」の操作というのが目新しかったようです。

昔の電卓を使ってた人は覚えていると思いますが、昔は
35+23−18 を計算する場合、
35+23+18− という操作でした。
ここで +とか−というのは、今置数した数を、レジスタに足すとか、レジスタから引く、という命令ボタンだった訳です。

しかし MD-5 はちょっとロジックを工夫することにより、数式通り(といっても乗除優先まではできない。それができるようになったのはたぶん1974年頃から)の操作を実現していました。

(+とか−は+=、−=の刻印のものも多かった様です。このタイプの電卓は80年代の半ばころまではあったような気がします。)

シャープもソニーも「世界初のトランジスタ電卓」と主張しているようですが、シャープは実際に発売しているようですから、やはりシャープに分がありそうな気がします。


グリコ森永事件(1984)
1984年3月18日21時半頃、江崎グリコ社長の江崎勝久氏の自宅(西宮市)に賊が入り、入浴中の勝久氏が誘拐されました。
犯人達は身代金10億円と金塊100kgを要求しますが、21日に勝久氏は茨木市の小屋から自力で脱出し警察に保護されました。
しかしこれは一連の事件の序章にすぎませんでした。

4月7日、警察と複数の新聞社に、犯人グループからと思われる「けいさつのあほどもえ」で始まる手紙が届き、それ以降もしばしば手紙は届くようになります。
グリコ本社への放火事件を経て5月10日「グリコのせい品にせいさんソーダいれた」の手紙が届き、実際コンビニの店頭で「どくいりきけん たべたらしぬで かい人21面相」と書かれた青酸ソーダ入りの菓子が発見されました。

事件前半のクライマックスとなったのが6月2日。
犯人から3億円の要求があり、グリコがこれを用意して受け渡し場所で待っていた所、現金を受け取りに若い男があらわれたので待機していた警察がこれを拘束。
ところが、この男性は恋人とデート中に銃で脅されて拉致され、彼女を人質に取られたまま(実際にはすぐに解放されている)現金の受け取りに来させられたものと判明します。
そして6月26日にはマスコミ宛に「グリコゆるしたる」という手紙が届き、これで一連のグリコに対する事件は終息しました。

グリコ事件の終息の裏で、6月22日、犯人は今度は丸大食品に5000万円を要求する手紙を出していました。
更には7月11日にはハウス食品など数社にも、手紙が届き、9月12日になると森永製菓に1億円を要求する手紙が届きました。
10月7日には各地のスーパーで青酸ソーダ入りの森永の菓子が多数発見され、一週間後にはNHKに青酸ソーダの固まりが送られてきました。
11月7日にはハウス食品にも1億円を要求する手紙が届きます。
警察は誘拐事件以外では異例の報道協定をマスコミと結び、今後こそお金の受け渡しの現場で犯人を確保しようとしますが、当日現場近くで怪しい車が他県警の通常警邏中であった警官に職務質問されて逃げるというハプニングが発生。
失敗しました。(そちらの県警には事件のことは通知されていなかった)

犯人から食品会社への脅迫状、警察への挑戦状などが相次ぎ、12月7日には今度は不二家にも1億円を要求する手紙が到着。
年が明けて1985年2月12日にもまた青酸入りの菓子発見。
犯人たちからの手紙は続いていきますが、事件が完全に終了するのはこの年の8月。
江崎勝久氏の誘拐事件から1年半近くが経過した時でした。

一連の捜査の不手際の責任を感じて、滋賀県警の山本昌二本部長が8月7日に自殺。
犯人はそれに反応して8月11日「もうゆるしたろ くいもんの会社いびるの もお やめや」という手紙を送ってきます(翌12日到着)。
実際にこれ以降、犯人グループの動きは全く無くなりました。

警察の必死の捜査にかかわらず犯人の手がかりはほとんどつかめず、このまま事件は迷宮入り。
結局2月12日の青酸事件から15年たった2000年2月12日関連する全ての事件の時効が成立しました。

これだけ大量に青酸入りの食品がばらまかれたにも関わらず、犠牲者が出なかったのは奇跡としかいいようがありません。
大半は店頭で回収され、唯一買われてしまった菓子も子供が食べる前に母親が異常に気づいて届け出たため、事なきを得ています。

犯人グループの中で唯一コンビニの防犯ビデオから顔が確認された「キツネ目の男」にしても、あれだけ顔が全国に報道され、また街頭にも多数写真が貼られたにも関わらず身元は不明。
今回の事件とあるいは関連するのではと考えられた江崎グリコに対する脅迫事件についても、今回の事件へと犯人像をたどっていくことはできませんでした。

この事件では警察の対応が常に後手後手にまわってしまっており、特にハウス事件の際のハプニングは、県警同士の連携の悪さを厳しく指摘されました。
そして大量の遺留品があるにも関わらず、まったく犯人像へ辿り着けない問題について、捜査の方法自体を新しい時代に向けて見直すべきであるとの声も強く出ました。
またこの事件で遺留品から犯人たちが警察無線を傍受していたことが判明したことは、警察無線をデジタル暗号化させるきっかけとなりました。

店頭の食品に大量に毒物が混入されるという問題は、食の安全という面から国内の多数の食品メーカーに難問を突きつけました。
各社ではシールを剥がすと「開封済」という文字が浮き出る包装や、1ヶ所でも穴をあけると縮んで
パッケージが破られていることが明確に確認できるシュリンク包装などの技術を開発しました。
そもそも事件を恐れて消費者がこの手の食品を買い控える動きが出た上に新しい技術を開発し、更にはその新型パッケージ費用も負担し、食品会社は実際に脅迫された所以外でも大きな経済的打撃を受けています。
小さいメーカーの中には操業停止に追い込まれた所もあったようです。

この事件の背景についても様々な人が勝手なことを言い、妄説の多さでは1968年の東京府中刑務所横での三億円強奪事件と並ぶものがあります。
その中で多くの人が指摘しているのが、犯人からの終息宣言の直後の航空機事故とのリンクです。

8月11日の終息宣言をうけてハウス食品の浦上郁夫社長はこのことを前社長の墓前に報告しようと、日本航空123便に乗って大阪へ向かいました。
ところがこの航空機は飛行中にトラブルが発生し操縦不能となって御巣鷹山に墜落、乗客乗員520人が死亡(4人生還)。
浦上社長もこの事故で亡くなっています。

この事故現場に、大量の1万円札の燃えかすがあった、などというのは、某劇団がこの事件に関わっているなどという話と共にガセネタでしょうか。…… ?

ちなみにカシオは、1965(昭和40)年9月メモリーつき電子式卓上計算機「カシオ001」を発売しています。
http://www.casio.co.jp/company/history/chapter00/c..


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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