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3月20日 電卓の日(1974)、東京上野動物園開園記念日、東京国立博物館開館記念日
     LPレコードの日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
スイートピー(ピンク)愛の愉しみ・恋の愉しみ・優美・門出○
ゼニアオイ 恩恵・母の愛・温和・温厚・初恋・信念・説得 ○
チューリップ(紫)  永遠の愛情             ○
ミツマタ      意外な思い             ○

∞…∞ 3月20日・今日という日 ∞…∞

野村佑香   (1984)  女優
阿部慎之助   (1979)  野球
引地洋輔   (1978)  RAG FAIR、バリトン
鈴木慎吾   (1978)  サッカー
浅川 悠   (1975)  声優
三森愛子 (柳原愛子)   (1974)  女優、タレント
大石 恵   (1973)  タレント
じゃい (渡辺隆浩)   (1972)  タレント、インスタントジョンソン
太田真一郎   (1971)  声優
木城ゆきと   (1967)  漫画家 「銃夢」
田中 渉   (1967)  作家
宇津木えり   (1966)  ファッションデザイナー
川田妙子   (1965)  声優
杉本恭一   (1964)  レピッシュ、G.
渡 洋史   (1963)  俳優
渡邉 貢   (1963)  PERSONZ、Bass
郭 泰源   (1962)  野球
くじらいいく子   (1958)  漫画家
スパイク・リー   (1956)  映画監督
竹中直人   (1956)  俳優
スージー甘金   (1956)  イラストレーター
竹内まりや   (1955)  歌手
吉村金八   (1952)  ゴルフ
相賀昌宏   (1951)  小学館社長
畑中 純   (1950)  漫画家
ウィリアム・ハート   (1950)  俳優
三上 寛   (1950)  俳優、歌手
新藤恵美   (1949)  女優
景山民夫   (1947)  作家
倉田保昭   (1946)  俳優、空手
ガブリエラ・アンデルセン   (1945)  マラソン
梅宮クラウディア   (1944)  元モデル
ボビー・テーラー   (1944)  野球
上岡龍太郎   (1942)  タレント
君原健二   (1941)  マラソン
片岡義男   (1940)  作家
雪村いづみ   (1937)  歌手
蒲池猛夫   (1936)  射撃
林 夏介   (1936)  漫画家
ジョージ・アルトマン   (1933)  野球
雪代敬子   (1933)  女優
桜井センリ   (1930)  俳優
高橋和枝   (1929)  声優
野平祐二   (1928)  競馬騎手
梅原 猛   (1925)  古代史学者
樋笠一夫   (1920)  野球
曽我量深   (1875)  僧侶
秋山真之   (1868)  軍人
前原一誠   (1834)  武士
ヘンリック・イプセン   (1828)  劇作家

 ○ ボルタが電池を発明(1800)
 ○ ナポレオン、流刑を終えて帰国(1815)
 ○ 明治天皇が断髪する(1873)
 ○ 政府軍が田原坂で西郷隆盛軍を破る(1877)
 ○ 東京国立博物館と上野動物園がオープン(1882)
 ○ 千島列島調査、本格的に(1893)
 ○ 上野公園で、東京大正博覧会が開催され、日本初のエスカレーターやロープウェー、国産自動車が人気の的となる(1914)
 ○ 秋田県能代市で1385戸が焼失する大火発生(1956)
 ○ 神戸ポートアイランド博覧会が開幕(1981)
 ○ 地下鉄サリン事件発生(1995)

LPレコードの日
1951(昭和26)年、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売されました。

太陽の日
ソーラーシステム振興協会が制定。昼夜の時間がほぼ等しいとして、春分の日が選ばれた。

東京国立博物館開館記念日
1882年(明治15年)の今日、東京・上野寛永寺跡に国立中央博物館として開館。日本の博物館の始まりとなる。

電卓の日
日本事務機械工業会が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定。
制定当時は記念イベントを開催していましたが、現在では何も行われていません。

卵の日
エッグ・アートのカリフォルニア・ファンシー・エッグが制定。生命が芽生える日として、春分の日と同じ日が選ばれた。

上野動物園開園記念日
1882年(明治15年)の今日、東京・上野に日本初の動物園として、上野動物園が開園した。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ



彼岸の中日
彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。

「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のことをいいます。
また、この期間に行われる仏事のこと。
暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と言い、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もあるそうです。
俗に、中日に先祖に感謝をし、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされているそうです。

春のお彼岸会
春のお彼岸、春分です。
これは天文学的には太陽が、地球の公転軌道の延長である黄道と、地球の自転軸に垂直な平面赤道面との交点方向に見える、瞬間ということになります。
この日の太陽は真東から昇り、昼と夜の長さがほぼ等しくなります。
(実際には太陽の頭が出たところで日の出とし、太陽が全部沈んだところで日没とする為、彼岸の日でも太陽の視角の分だけ昼が長くなります。)

日本の伝統では、この日にお墓参りをして、ぼた餅を食べます。
またお寺でも彼岸の法要をします。
この時期は農耕を始める時期でもあるため、先祖の霊に今年の豊作を願う行事などとも結合しているようです。

なお、春のお彼岸と秋のお彼岸(秋分)が一般に対にされるのですが、どちらかというと、春の彼岸の方を盛大に祝うところが多いようです。
これは秋の彼岸はお盆の祭りをやってから日がたってなくて予算が立たない為ではないかと言われています。

お彼岸につきものの「ぼた餅」と「おはぎ」ですが、基本的にご飯のままのものに、あんこをかぶせたものをおはぎ、つぶして餅状にしてからあんこをかぶせたものをぼた餅といいます。
基本的には牡丹の季節に近い春がぼた餅、萩の季節に近い秋がおはぎと言いますが、家々の伝統で
けっこうバラバラのようです。


お彼岸
お彼岸の「彼岸」は、「到彼岸」という言葉に由来します。
「到彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミター」(漢字で「波羅蜜))を漢訳したもので、「到彼岸」の彼岸は、迷いのない悟りの境地を意味します。
彼岸に対して、私たちが生きている煩悩に満ちた俗世間が此岸。

彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられます。

浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられているからです(西方浄土ともいう)。

こちら側(此岸)の私たちが、あちら側(彼岸)に到るための仏道修行を「到彼岸」といいます。
やがて、悟りの世界である彼岸を、死後の安らかな世界である浄土と捉えるようになり、現在のように亡くなったご先祖様に想いを馳せる「お彼岸」が定着していったようです。

彼岸は春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後三日ずつ一週間にわたり行われる法会ですが、この時期に彼岸会を行なう理由は、太陽の動きと関係があります。
浄土教では、極楽浄土は西の方角にあると考えます。
浄土経典の『観無量寿経』には、極楽浄土を想像するための十六の方法が説かれていますが、その一つとして、西に沈む太陽を見て極楽浄土を想う「日想観」という方法があるほど。
ここから太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、西方浄土を想像し、ご先祖様を供養する習慣が生まれました。

浄土教が日本に広まった平安時代から、お彼岸も普及し始めますが、とくに大阪の四天王寺の西門が極楽浄土の東門と向き合っているという信仰は有名で、お彼岸には、西門から難波の海に沈む太陽を眺め、極楽浄土を想う人々であふれかえったと言われます。

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、お彼岸はちょうど季節の変わり目。
この時期に、太陽とご先祖様に収穫を感謝し、豊作を祈るという意味合いもお彼岸にはありました。
お彼岸は、他国には見られない日本独自の仏教行事ですが、農業文化に根ざした太陽信仰とも密接に結びついていたのでしょう。
だからこそ、広く民衆に定着したとも言えるそうです。


だそうです。よろしく(^ー゚)ノ




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