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4月19日 地図の日・最初の一歩の日、トークの日(毎月)(NTT)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
イチリンソウ    追憶               ○
キショウブ     友情、信じる者の幸福       ○
ヒエン草(ラークスパー)清明・高貴・尊大・軽快・野の喜び○

∞…∞ 4月19日・今日という日 ∞…∞

斉藤 晶   (1995)  タレント
マリア・シャラポワ   (1987)  テニス
スケバン刑事 (KOIKE)   (1984)  タレント、軟式globe
平松康平   (1980)  サッカー
坂下千里子   (1976)  タレント
清水 健   (1976)  アナウンサー
きくりん (菊地友和)   (1976)  タレント
河合純一   (1975)  中学校教師、パラリンピック水泳金メダリスト
諸岡菜穂子   (1975)  タレント
吉田 豊   (1975)  競馬騎手
加藤由香   (1974)  アナウンサー
中田一三   (1973)  サッカー
テンポイント   (1973)  競走馬
小沢なつき   (1972)  タレント
三島★ド根性ノ助   (1972)  格闘家
ウェズレイ・レイモンド・ペレイラ・ダシルバ   (1972)  サッカー
青山ちはる   (1970)  タレント
磯貝洋光   (1969)  サッカー、ゴルフ
久慈照嘉   (1969)  野球
エル・サムライ   (1966)  プロレス
杉山和史   (1966)  俳優
廣瀬洋一   (1963)  THE YELLOW MONKEY、Bass
ノブ (小沢信弘)   (1963)  タレント、ノブ&フッキー
榎田卓央   (1962)  アナウンサー
沼澤 尚   (1960)  ドラマー
ロバート・レイノルズ   (1960)  野球
芦川 誠   (1960)  俳優
根本りつ子   (1959)  女優
関 秀章   (1957)  メディアコラムニスト
石原伸晃   (1957)  政治家
鮫島秀樹   (1955)  ハウンドドッグ
和田慎二   (1950)  漫画家 「スケバン刑事」
日野日出志   (1946)  漫画家
沼田義明   (1945)  ボクシング
村野武範   (1945)  俳優
浅野勝人   (1938)  政治家
岡田 裕   (1938)  映画プロデューサー
ジョセフ・エストラダ   (1937)  元フィリピン大統領、俳優
庄司 薫   (1937)  作家
久世光彦   (1935)  政治家
ジェーン・マンスフィールド   (1933)  女優
ディック・サージェント   (1930)  俳優
源氏鶏太   (1912)  作家
岡 潔   (1901)  数学者
渡辺 篤   (1898)  俳優
山田 守   (1894)  建築家
ラファエル・ブリッジェンス   (1819)  建築家
川路聖謨   (1801)  勘定奉行
文如   (1744)  僧侶

 ○ アメリカ独立戦争始まる(1775)
 ○ 伊能忠敬、蝦夷地の測量に出発(1800)
 ○ 「新約聖書」の日本語訳完成(1880)
 ○ 第1回ボストンマラソン。大衆マラソンのなかで最も歴史の古いレース(1897)
 ○ エールリッヒが初の抗梅毒剤を開発(1910)
 ○ 「シトロエン7CV」デビュー(1934)
 ○ ワルシャワで、ユダヤ人の反ナチの武装蜂起が起る(1943)
 ○ 世界初のミス・ワールド・コンテスト(1951)
 ○ 第55回ボストン・マラソンで日本人、田中茂樹、初優勝(1951)
 ○ アジア・アフリカ会議開催(1955)
 ○ アメリカ駐日大使としてハーバード大教授のライシャワーが着任(1961)
 ○ 世界初の宇宙ステーション、発射(1971)

地図の日
1800年(寛政12年)閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発した。
豪商伊能家を継ぎ、50才で隠居後、江戸に出て天文学、暦学、西洋数学等を学び、全国各地を測量し、『大日本沿海興地全図』を完成させた。
その精度は高く、世界に誇れる科学的地図である。

聖エクスペディトゥスの祝日
物事の早期解決・商人・航海士の守護聖人。

マージャンの日(毎月第3木曜)

乗馬許可記念日
1871年のこの日、庶民が馬に乗ることが許された。
江戸時代は武士以外の者の乗馬は禁じられていた。

独立宣言日(ベネズエラ)


最初の一歩の日(地図の日)
1800年(寛政12年)の4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発したことに由来します。
伊能忠敬は50才を過ぎてから天文学を本格的に学び、自費でこの測量を達成、まさに人生再出発を見事になし遂げた人でもあり、日本最初の科学的な実測地図「大日本沿海輿地全図」の作成を手がけました。
しかし何事においても最初の一歩がなくては始まらない。
その一歩を記したのが今日なのです。

ところで、伊能忠孝の測量は地道で途方もないものだったようです。
まず、北海道南部の測量を実施しました。

距離を測るのは自分自身の足で、その歩数で計算されました。
正確な距離を出すために何度も何度も歩く練習も重ねたそうです。
1日に測れる距離は、20キロ程度で、函館から釧路まで測るのに、100日間もかかったと言います。
その後も日本各地の測量は続けられ、すべてを終えたのは、1816年のことだそうです。
初めの一歩から実に、16年にも及ぶ大事業だったのだようです。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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