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4月27日 婦人警官記念日、悪妻の日・哲学の日

花ノ名前      花ことば            誕生花として
オキナグサ     清純な心・背信の恋        ○
シラネアオイ    優美・完全な美          ○
スイレン      純潔・清浄・甘美・清純な心・信仰 ○
スイレン(白)   純粋潔白             ×

∞…∞ 4月27日・今日という日 ∞…∞

鈴木 杏   (1987)  タレント
長谷部瞳   (1985)  タレント
楊原京子   (1982)  タレント
田原 豊   (1982)  サッカー
間下このみ   (1978)  タレント
望月久代   (1978)  声優
岸田 繁   (1976)  くるり、Vo. G.
船木和喜   (1975)  スキー、ジャンプ
馬場典子   (1974)  アナウンサー
原 千晶   (1974)  タレント
Tama (白玉雅己)   (1974)  元 ポルノグラフィティ、Bass
松野明美   (1968)  タレント、マラソン
桐島ローランド   (1968)  写真家
冨樫義博   (1966)  漫画家 「幽☆遊☆白書」
宮根誠司   (1963)  アナウンサー
吉村禎章   (1963)  野球
加藤雅也   (1963)  俳優
シーナ・イーストン   (1959)  ミュージシャン
赤塩正樹   (1957)  H2O
エース・フレーリー   (1951)  KISS、G. Vo.
富澤一誠   (1951)  音楽評論家
藤原喜明   (1949)  プロレス
柴 俊夫   (1947)  俳優
マイク真木   (1944)  歌手
ジョージ秋山   (1943)  漫画家 「浮浪雲」
テオ・アンゲロブロス   (1936)   映画監督
天野祐吉   (1933)  評論家
小林完吾   (1932)  アナウンサー
矢野絢也   (1932)  政治評論家
寺島竜一   (1918)  画家
サミュエル・モース (モールス)   (1791)  画家、発明家
醍醐輝弘   (1791)  公卿

 ○ ギリシアの哲学者、ソクラテスが 時の権力者から死刑宣告を受けて獄中で毒を飲んで死亡。妻は悪妻として有名(BC399)
 ○ 記録に残る日本最初の地震(599)
 ○ 幕府が人身売買を禁止する(1626)
 ○ アメリカ船が長崎に来航し、薪と水を要求する(1807)
 ○ アメリカ軍が、イギリスからトロントを奪う(1813)
 ○ 帝国図書館(現在の国会図書館)が開館(1897)
 ○ 東京で日本初の駅伝(1917)
 ○ GHQの指示により東京警視庁に初の婦人警官62人が採用(1946)
 ○ 琉球立法院が日本復帰を満場一致で可決(1964)
 ○ 松下幸之助が肺炎のため没。94歳(1989)
 ○ 南アフリカ共和国で、黒人が初めて参政権を行使する国政と各州議会の選挙が行われる(1994)

哲学の日
紀元前399年、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなった。
アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下された。
弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法」だと言って毒杯をあおったとされる。

悪妻の日
ソクラテスの妻が悪妻として有名であることから。

国会図書館開館記念日
1897年(明治30年)のこの日、国会図書館の前身(帝国図書館)が開館した。

婦人警官記念日
1946年(昭和21年)のこの日、東京警視庁に初めて婦人警官が採用された。

ロープデー
「よい(4)つ(2)な(7)」(良い綱)の語呂合せ。

駅伝誕生の日
1917年(大正6年)のこの日、京都の三条大橋から、東京間508kmを通して走る、東海道五十三次駅伝競走がはじまった。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ


道成寺鐘供養(4.27)
毎年4月27日には和歌山県川辺町の道成寺で鐘供養が行われます。

道成寺といえば能や歌舞伎・浄瑠璃などでおなじみ、安珍・清姫です。

安珍という僧が熊野への参拝の旅の途中、真砂の里で巡礼の宿を営む清重という男の家に泊まりました。
その家には清姫という娘がいましたが、清姫は安珍に一目惚れしてしまいます。

どうかここに留まって私の婿になって下さい、という清姫に対して安珍は今は願を掛けて熊野に行く最中なので、帰りにきっと立ち寄って添い遂げましょうと約束して旅立って行きました。

ところが安珍はそれほど清姫に気があった訳でもなかったので、すぐに冷めてしまい、熊野まで行ってお勤めを果たした後、別の道を通って帰ろうとしました。
清姫の方はなかなか安珍が戻ってきてくれないのでだんだん不安になります。
そしてとうとう食事が喉を通らなくなり、病気になって死んでしまいました。

その死んだ清姫の部屋から一匹の蛇が走り出しました。
それは安珍のことを思いもう尋常ではなくなってしまった清姫の心が変じたものでした。

蛇は安珍がたどった後をもの凄い勢いで追いかけて行き、熊野まで行き更に安珍が選んだ帰り道を見つけて、やがて潮見峠で安珍を見つけますが、安珍は恐れて川辺の道成寺まで逃げ込みました。

蛇はもはや怨念と化して真っ赤に燃え上がりながら日高川を越え道成寺へと向かいます。
安珍は道成寺の寺の者に事情を話して鐘の中にかくまってもらいました。
しかし清姫の蛇はその鐘を見つけてぐるぐるに巻き付きます。
怨念の炎で鐘は赤く焼けていました。
やがて蛇が去っていった後、寺の者がおそるおそる鐘をあげてみると、中にいたはずの安珍の姿はなく、微かな灰だけが残っていました。

安珍はあの蛇の炎で燃えてしまったに違いないと、寺の者は若い僧の冥福を祈りました。

それからしばらくして、その道成寺の住職のところに夜一匹の蛇が訪ねて来ました。
それは安珍が化したものでした。
安珍であった蛇は自分たちが結局夫婦になったこと、しかし二人とも蛇の姿のままであることを語り、蛇の身は辛いので、助けて欲しいと願いました。
そこで住職は二人の為に法華経を読んであげました。
すると二人は法華経の功徳により刀利天に生まれ変わることができました。

この安珍・清姫の物語は今昔物語巻11に収録されたものを原点として、数々のバリエーションが作成されたようです。
上記は今昔物語版をベースとして少しアレンジしてあります。

清姫は安珍にお熱だったのですが、安珍の方は清姫を最初好いていたのかどうか、という点に関しては異論があります。
今昔物語版では清姫の一方的な想いに対して安珍が言い逃れで「帰り道に」と言ったということになっています。
逆に安珍が清姫を見初めたという説もあるようです。
また、清姫の生まれに関しても、清重が黒蛇に飲まれそうになっている白蛇を助けた為、白蛇が巡礼の姿になって清重の許を訪れ、夫婦になって清姫が生まれたという説もあります。
また清姫は道成寺まで安珍を追いかけて行ったのではなく、絶望して荘司ヶ淵に身を投げて死んでしまったという説もあります。

この物語の舞台となった道成寺は藤原不比等の娘で、文武天皇后・聖武天皇の母である、藤原宮子が誓願して建立したもので、大宝元年(701)に開基した紀州最古の寺です。
安珍清姫の物語は最初能で演じられ、その後歌舞伎に取り入れられました。
恐らく最も代表的な藤本斗文作詞『京鹿子娘道成寺』は宝暦3年(1753)江戸中村座で初代中村富十郎が初演。
以後成駒屋のお家芸となっています。

なお、この道成寺の問題の鐘はその後回り回って加藤清正が京都の妙満寺に奉納したとのことです。


お寝坊さんの日(fi:unikeonpäivä, en:National Sleepy Head Day  フィンランド)
家で一番遅くまで寝ていた人を水に投げ込むなどして起こす日。
200年間眠り続けたというエフェソスの7人の眠り男の伝承に基づく。

祖国解放戦争勝利記念日(北朝鮮)

政治を考える日(日本)
1976年のこの日、ロッキード事件で田中角栄前首相(当時)が逮捕されたことによる。

スイカの日(日本)
スイカの縞模様を綱に見立て、27を「つ(2)な(7)」とよむ語呂合せから。





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