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5月 9日 アイスクリームの日(日本アイスクリーム協会1964)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
クレマチス(テッセン)美しい・たくらみ・高潔・心の美
          精神的な美しさ・旅人の喜び    ○
ミズキ       成熟した精神・耐久        ○
ヤエザクラ(八重桜)しとやか・善良な教育・豊かな教養 ○

∞…∞ 5月 9日・今日という日 ∞…∞

谷口沙耶香   (1986)  タレント
朝比奈えり   (1986)  タレント
平原綾香   (1984)  歌手
松田龍平   (1983)  俳優
梅原恵里   (1982)  0930、G.
横山 裕   (1981)  タレント、関ジャニ∞
森崎和幸   (1981)  サッカー
森崎浩司   (1981)  サッカー
Shen   (1981)  Def Tech
新垣 渚   (1980)  野球
西 紀寛   (1980)  サッカー
あかぎあい   (1980)  タレント
ERI   (1980)  dps
小林 桂   (1979)  ジャズシンガー
大橋卓弥   (1978)  スキマスイッチ、Vo. G.
英智 (蔵本英智)   (1976)  野球
長塚圭史   (1975)  劇作家、演出家、俳優
宮田 愛   (1974)  歌手
小高恵美   (1972)  女優
家森幸子   (1972)  アナウンサー
中本哲也   (1970)  タレント、テツandトモ
冨永研司   (1970)  アクション俳優
ウーゴ・マラドーナ   (1969)  サッカー
原田雅彦   (1968)  スキー、ジャンプ
岡野 剛   (1967)  漫画家 「地獄先生ぬ〜べ〜」
玉元 晃   (1961)  元フィンガー5
白武佳久   (1960)  野球
Johnny (浅沼正人)   (1958)  元横浜銀蝿、Bass、音楽プロデューサー
魚戸おさむ   (1957)  漫画家 「がんばるな家康」
掛布雅之   (1955)  野球
小林のり一   (1951)  俳優
ビリー・ジョエル   (1949)  歌手、俳優
大谷 直   (1949)  俳優、出版社社長
キャンディス・バーゲン   (1946)  女優
菅原牧子   (1945)  アナウンサー
栗塚 旭   (1937)  俳優
泡坂妻夫   (1933)  作家
森 光子   (1920)  女優
江川宇礼雄   (1902)  俳優
細井和喜蔵   (1897)  作家
ジェームズ・マシュー・バリー   (1860)  作家、劇作家
伊東巳代治   (1857)  政治家
フランソワ・ポンポン   (1855)  彫刻家
諏訪忠誠   (1821)  華族
恒明親王   (1303)  皇族、皇子

 ○ コロンブス、最後の航海に出発(1502)
 ○ 高島秋帆、洋式砲術を演習(1841)
 ○ 横浜・馬車道の「あいすくりん」登場。1人前の値段は2分、現在の8千円相当(1869)
 ○ 上野公園開園式(1876)
 ○ 中国、日本の21か条要求を承認(1915)
 ○ アメリカ海軍司令官チーム、初の北極圏飛行(1926)
 ○ 銀座松屋デパートで初の飛び降り自殺(1926)
 ○ トーキー映画初公開(1929)
 ○ 伊豆半島沖地震で死者30人(1974)
 ○ 日本登山隊、マナスル登頂成功(1956)
 ○ 350年前に地動説を唱えて宗教裁判で有罪とされたガリレオに対してローマ法王パウロ2世が謝罪(1983)
 ○ 南アで初の黒人政権・マンデラ大統領誕生(1994)

アイスクリームの日
1869年(明治2年)の5月9日、横浜の馬車道通りで町田房蔵が「あいすくりん」の名称で日本で初めてアイスクリームを販売したことに因む。
実際には旧暦の6月、新暦の7月といわれているが、これでは消費拡大のPRには遅いということで、日本アイスクリーム協会が1906年(明治39年)に制定。

黒板の日
全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して2000年7月に制定した日。
黒板の有効性をアピールし、そのPRに役立てることを目的としている。
5と9で黒板の黒(こく)の語呂合わせから。

メイクの日
「メイ(May)ク(9)」の語呂合せ。

国恥記念日
(台湾) 1915(大正4)年、中国が日本の二十一箇条要求を最後通牒で受諾した日。
これに基づいて、山東省・南満洲や東部内蒙古・漢冶萍公司等に関する利権、中国の港湾・島嶼の不割譲に関する条約を結ぶこととなったという恥辱の歴史を忘れぬように制定されたもの。

勝利の日,母の日(ベラルーシ)

泡鳴忌
詩人・小説家・劇作家・評論家の岩野泡鳴の1920(大正9)年の忌日。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ

メイクの日(5.9)
5月9日はMayの9日ということで「メイク」の日です。
Japan Make-up ArtistNetwork が定めました。
この日同協会では全国各地で様々なイベントを行うようです。

「メイク」は英語のMake-upの略ですが、このupはup/downのupではなく、clean up (仕上げる), catch up (追いつく) などと同様の完成をあらわすupではないかと思われます(確かに時々Make-downと言いたくなるようなメイクをしている人もいますが.....)。
一応、現代日本では「お化粧」の中でも肌のメンテの部分をスキンケア、その上層の仕上げの部分をメイクアップと言い分けています。

洗顔・化粧水・乳液・美容液あたりがスキンケア、ファンデーション、チーク、アイカラー、アイライナー、アイブロウ、マスカラ、リップカラー、グロス、等々がメイクアップの部分です。

メイクには流行があり、今の時代から例えば1950〜1960年代のメイクを見てみても、かなり違和感がある訳ですが、これが時代を数百年飛ぶと、もう美意識そのものの違いを認識せざるを得なくなります。
ここ10年くらいの意識としては、特殊な場(イベント等)に行く時以外は基本的にナチュラルメイク志向が強く、またアイメイクとリップメイクのバランスを取るのが美しいとされていると思います。

最近の10代後半の女性の中にはアイメイクだけを濃厚にしているメイクがはやってり、どうも異様な感じのメイクをしている人が時々いるのですが、果たして一時期のヤマンバメイクのような一時的な流れで終わるのか、あるいは少し緩和された形で今後のメイクのひとつの支線に発展していくのかは、現時点では即断できないのかも知れない気もしています。

「メイクの日」を提唱したJMANはメイクアップアーティストの団体ですが、この「メイクアップアーティスト」というのは、ごく最近確立してきた職業です。
元々はタレントなどのメイクを担当していた人や、デパート等の化粧品売場の店頭やヘアサロンなどでお客さんにメイクをしていた人達が、独立して活動できる場が与えられるようになってきて、中にはほんとうに「見違えるような」メイクを施せるような凄い腕の人たちも出てきています。
テレビの番組などで、そういう人のコーナーを作っているものもあります。

そういうのを見ている中には必ずしも大したことない気がする人もあるのですが、そんな中で本当に凄いと思っているのはNHKの「おしゃれ工房」などに出演した藤原美智子さんだと評価されていると思います。
この人のテクは、基本に忠実で、少ない道具を使いTPOに合わせた、とても美しいメイクを短時間で仕上げてしまいます。
この人は著書も多数出ていますし(買う時は写真の多い本がいいです。メイクは言葉だけではなかなか分かりにくい)、講演会なども人気のようです。

さてここしばらく日米欧などではお化粧は女性だけのものになっていたのですが、最近いわゆるメトロセクシュアル(この言葉自体はベッカムあたりから出てきたもよう)といって、男性の中にもマニキュアをしたり、ファンデーションを使用する人たちが出てきています。
元々化粧が女性だけのものになったのは、歴史的にはここ150年くらいの事で、本来お化粧は男女ともしていたものです。

平安時代の貴族のお化粧はご存じの方も多いでしょうし、戦国時代の武将などは万一戦いに敗れて首を切られて晒された時に、みっともない顔では恥だといって、しっかりお化粧して戦いに臨んでいたそうです。
こういう場合のお化粧には、勝利祈願や魔除けの意味合いもあります。
実際、世界的に見てもお祭りの時に男女とも特殊なお化粧をする所は多いです。
また占いをなさる方の中には、そういう感覚が分かる方もあるかも知れませんが、お化粧が一種の結界(霊鎧の代用)になって、精神的な集中を助けてくれる場合があります。

またお化粧には実用的な意味合いもあります。
もともとアイメイクというのはエジプトなどの日差しの強い地域で、目を守るために生まれたものという説もあります。
プロ野球の選手などがデイゲームの時に目の下に黒いラインを入れているのと同じです。
現代のアイシャドウやアイライナーにもそういう目を守る効果はありますし、また紫外線対策で化粧水や乳液・ファンデーションにUV効果のあるものを使用しておけば、強い日差しから肌を守ることができます。
人間の身体の中で顔と手だけが服によって守られていないので、この部分の防御をするのは意味のあることだと思います。


日本登山隊マナスル登頂(1956)
昭和31年(1956年)の5月9日、日本山岳会の槙有恒会長みずからが指揮する日本登山隊がヒマラヤ山脈マナスルの初登頂に成功しました。
頂上に立ったのは今西寿雄隊員とシェルパのギャルツェン・ノルプさんの二人でした。

日本人初の8000メートル級の山の「征服」でしたが槙隊長はこう語りました。

「(あれは)征服ではない。靴の下に頂上を踏んだだけ。大自然はわれわれが及びもつかないほど大きなものです。」

このマナスル登頂は戦後日本が次第に自信を回復していくステップのひとつでした。
私たちのころは社会科の歴史の教科書でも、若戸大橋開通・黒四ダムの建設・東京オリンピックなどと並べて大きく取り上げられていました。


トーキー初公開(1929)
昭和4年(1929)5月9日アメリカで作られたトーキー映画「進軍」「南海の唄」が日本で初めて、東京新宿の武蔵野館で公開されました。
国内でも翌月にはマキノプロが国産初のトーキー「戻り橋」を公開。
これから無声映画の時代は終わり始めます。

映画は初め1891年にエジソンがコダックのロールフィルムを使って静止画を点滅光源より連続表示させる方法(キネトスコープ)を考案、1895年にこれをリュミエール兄弟がスクリーンに投影する方法を発明(シネマトグラフ)。
そこから歴史が始まりましたが、当然最初は無声映画でした。

映画館ではこの無声映画を迫力のある雰囲気で味わってもらうため、専属の楽団により音楽を演奏し「弁士」が劇中人物のセリフを感情のこもった表現で語っていました。
しかしトーキーの登場はこの映画館の雰囲気を完全に変えてしまい、また映画製作の場面にも大きな影響を及ぼします。

トーキーは1927年に発明されたもので、要するにフィルムの送り穴用に確保している両脇の画像のプリントされていない余白部分に音声を記録したものです。
この部分をサウンドトラックといいます。
なおこの余白部分は左右の大きさが異なっていて当時はその広い方のみを使用していましたが、現在は左右両方を使用してステレオ・サウンドを実現しています。

(最近ではフィルムを使用しないディジタル映写機が普及し始めているので上記の「現在は」という言葉はあと数年しかもたないかも知れません)

実際の映画製作の場面では、それまではどうせ声なんて入らないということで役者はセリフをきちんと憶えず、分からなくなったら、そこが美男美女が見つめ合う濡れ場であろうと、戦闘シーンのクライマックスであろうと、イロハニホヘトのコンペイトウ」「さてはハヒフヘ、マミムメモ」などと、とんでもないセリフを発していたそうです。

ところがそれをやられると、あとでいざ音声をアテレコしようとしたときに口とセリフがうまく合ってくれません。
そこで役者は正確に台本通りのセリフを発することを求められるようになりました。

さてこのトーキーは物凄い速度で普及しました。
この普及の速度は近年CDが登場してからあっという間にLPレコードを駆逐した状況に似ています。

そしてそれは色々な社会的な構造変化をもたらしました。

とにかく今までは映画館を運営するには弁士・楽士を雇わなければならず、たいへんな投資が必要だったわけですが、それが不要になったため映画館が急増しはじめます。
それに伴いトーキー映画もどんどん制作されて、結果的に弁士・楽士はどんどん失業しました。
その年の秋ごろにはこの失業が社会問題化しています。

チャップリンの「モダンタイムズ」(1936)は世の中がほとんどトーキーになった時代に敢えてサイレント映画で制作された名作です。
この映画で彼が批判した急激な技術の発展の中にその当のトーキー技術も入っていたのかも知れません。


アイスクリームの日(5.9)
5月9日はアイスクリームの日です。
これは明治2年(1869)の5月9日に日本で初めてアイスクリームが製造販売されたことを記念するものです。

発売したのは横浜の町田房蔵。
町田はアメリカで酪農技術を学んで明治元年帰国した出島松蔵にこのアイスクリームの製造方法を学びました。
資生堂や風月堂などがアイスクリームを作り始めたのは明治10年前後のこと。
町に「あいすくりん」売りが出現するのはそれよりもっと後です。
最初に町田が販売したアイスクリームはかなり高価なものだったようで、メリケン渡来の超高級菓子ということだったのではないかと思います。

アイスクリームが食べられ始めたのはかなり古い時代のことです。
紀元前後のローマの文書にもアイスクリームのレシピが残っています。
初期の頃のものは雪や氷を砕いたものに乳や蜜を掛けた、今で言えば氷菓やかき氷のようなもので、この手のものは日本の平安時代の『枕草子』にも登場します。

その後アイスクリームは中世のイタリアや後にはフランスで発達。
主として上流階級に愛されました。
これがその後イギリスを経てアメリカに渡り、ここで手回し式のフリーザーが発明されて庶民にも普及することになります。
出島が学んだものはこの系統に属するものです。
「アイスクリーム」という言葉もアメリカで生まれました。
元のイタリアのものは「ジェラート」です。

現在日本の規準ではアイスクリームは4ランクに分けられています。

  アイスクリーム 乳固形分15%以上・うち乳脂肪分8%以上
  アイスミルク  乳固形分10%以上・うち乳脂肪分3%以上
  ラクトアイス  乳固形分3%以上
  氷菓      それ以下

一見、アイスクリームに分類される乳脂肪分の高いものが良さそうですが、実際は現在の健康ブームの中においては、必ずしもそうではなく、ダイエットによいとして、ラクトアイスの方が人気を呼び、主力商品になっているそうです。





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