戻る ▲トップページ

6月25日 住宅デー(全国建設労働組合総連合1978)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
アサガオ はかない恋・固い約束・愛着・愛情の絆・仮装 ○
ウイキョウ   賛美に値します・賞讃・力量・よい香り ○
ヒルガオ(ピンク) 優しい愛情・絆・やさしい愛情   ×
ユリ        威厳・純潔・無垢         ○

∞…∞ 6月25日・今日という日 ∞…∞

岸本早未   (1987)  歌手
松浦亜弥   (1986)  歌手
安床武士   (1986)  インラインスケーター
高崎悠介   (1980)  タレント、冷やし中華はじめました
中尾美樹   (1978)  水泳
塚原直也   (1977)  体操
UCO (U子)   (?)  Funta、Vo.
白鳥智香子   (1973)  プロレス、タレント
田中 貴   (1971)  元サニーデイ・サービス
本田泰人   (1969)  サッカー
南かおり   (1969)  タレント、声優
松井みどり   (1967)  アナウンサー
ディケンベ・ムトンボ   (1966)  バスケットボール
牛原千恵   (1966)  女優
黒木よしひろ   (1965)  タレント
ジョージ・マイケル   (1963)  ミュージシャン、元 ワム!
奥野敦士   (1963)  ミュージシャン
高清水有子   (1961)  レポーター
大橋恵里子   (1959)  歌手
猿渡哲也   (1958)  漫画家 「高校鉄拳伝タフ」
松居一代   (1957)  女優
小川紳介   (1955)   映画監督
池 玲子   (1954)  女優
森川正太   (1953)  俳優
沢田研二   (1948)  歌手
高田文夫   (1948)  放送作家
誠 直也   (1948)  俳優
本宮ひろ志   (1947)  漫画家 「サラリーマン金太郎」「俺の空」
頭師孝雄   (1946)  俳優
熊谷 弘   (1940)  政治家
小渕恵三   (1937)  政治家
愛川欽也   (1934)  タレント
福田陽一郎   (1932)  脚本家、演出家
荻村伊智朗   (1932)  卓球
エリック・カール   (1929)  絵本作家
加藤芳郎   (1925)  漫画家
丹阿弥谷津子   (1924)  女優
獅子てんや   (1924)  漫才師
鶴見俊輔   (1922)  哲学者、評論家
杉浦幸雄   (1911)  漫画家
ルイス・マウントバッテン   (1900)  軍人
貞明皇后   (1884)  大正天皇皇后
佐伯定胤   (1867)  僧侶
アントニオ・ガウディ   (1852)  建築家
万里小路博房   (1824)  公卿
上田秋成   (1734)   歌人、国学者
徳力善雪   (1599)  画家
一条冬良   (1464)  公家
菅原道真   (845)  右大臣

 ○ 士農工商の身分制度廃止(1869)
 ○ 東京馬車鉄道、新橋・日本橋間開通(1882)
 ○ 日本鉄道、上野・高崎間開通(1884)
 ○ 北海道土地払下規則を公布(1886)
 ○ アイゼンハワー、連合軍司令長官に任命(1942)
 ○ 世界銀行設立。正式名称は国際復興開発銀行。日本の加盟は1952年(1946)
 ○ 朝鮮戦争勃発。払暁、北朝鮮軍が38度線を南下。3年にわたる朝鮮戦争の始まり。当初は北朝鮮側、その後、アメリカ軍が参戦して韓国側が優位。死者は370万人以上に(1950)
 ○ 初の天覧試合・巨人×阪神戦で、長嶋茂雄サヨナラホームラン(1959)
 ○ 国民祝日法改正公布(敬老・体育の日制定。建国記念日は6ヶ月以内に政令で制定)(1966)

救癩の日
1931(昭和6)年〜1963(昭和38)年。
らい病(ハンセン病)の予防と患者の救済に深い関心をよせていた大正天皇の后・貞明皇后の誕生日。
1964(昭和39)年から「ハンセン病を正しく理解する週間」となった。

天神縁日
天神様の縁日(毎月25日)

住宅デー
職人の腕と信用を広く世間にアピールしようと全国建設労働組合総連合が1978年(昭和53年)に制定。

天覧試合の日
1959(昭和34)年、昭和天皇皇后両陛下が初めてプロ野球の試合を球場でご覧になった日。
試合は巨人対阪神戦(後楽園球場)。
4対4の同点で迎えた9回裏、巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実からサヨナラホームランを打ち、初の天覧試合は巨人軍の勝利で幕を閉じた。

国祭日(モザンビーク)


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ


第七騎兵隊全滅(1876)
1876年6月25日、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊がリトル・ビッグ・ホーンでシッティング・ブル率いるスウ族・シャイアン族・アラパホ族などの連合軍との戦いに敗れ、全滅しました。

1873年、ワイオミング州とモンタナ州の境界付近のブラックヒルズで金鉱が見つかったという噂が立ちました。
本当に見つかったのかどうかは分かりませんが、その噂を聞いて大量の白人たちがこの地の押し寄せてきました。
しかし、この土地は元々アメリカ白人政府もインディアン達に保証していた土地でした。

この地に住んでいたスウ族・シャイアン族のインディアンたちは抗議しますがアメリカ白人政府はこれを無視して逆にこの地からインディアンを追い払おうとし、テリー将軍・クルック将軍・ギボン大佐・カスター中佐らが大包囲網を敷いてインディアンを攻撃しようとしました。

インディアンの数は相当なものでしたが、彼らは通常小さな部族単位で行動する為十分駆逐できると考えられました。
ところがここに白人たちの不当な行動に怒ったインディアンたちがカリスマ的指導者シッティング・ブルの元に大集結をしていました。
先兵のクルック将軍の部隊はクレイジーホース率いる精鋭部隊につぶされ壊滅しますが、この知らせは大規模なインディアン側の包囲網にはばまれて、白人側の他の部隊にすぐには届きませんでした。

そしてその反対側から進軍していたカスター中佐の部隊はそれを知らずに、しかもやや手柄をあせってインディアンの勢力地へ深く進入しすぎ、完全に包囲されてしまいます。
そしてリーノ少佐らわずかを残してほぼ全滅してしまいました。
この時インディアン側の包囲網はカスター隊の10倍ほどの人数であったとも伝えられます。

この戦いは白人に弾圧されてばっかりであったインディアン側の輝かしい勝利でしたが、逆に悲劇の始まりでもありました。
カスター戦死の知らせが届くと白人たちの間にはインディアン殲滅すべしという空気が満ち、このあともっともっとひどい弾圧が行われていくのです。

お断り。
最近「インディアン」という言葉は差別語ではないか、として「ネイティブ・アメリカン」という言葉を使う方も多いようです。
しかし、そちらの方が、もっと差別的だという説もあります。
直訳すれば「アメリカ原住民」ですからね、確かに。
実際問題として、彼らは「インディアン」と呼ばれることをそう嫌っていないようですし、彼らが自主的に組織した団体の中に「インディアン」の名称を使っているものもあります。
そもそも「アメリカ」という言葉自体もイタリアの探検家 Amerigo Vespucci(1451-1512)から来ている訳ですから、それなら「西インド人」と呼んでも大差ないような気もします。

本来は彼ら自身が自分たちのことを呼ぶ名称があればよかったのでしょうが、彼ら自身はあまり圏外との交渉がなかったため、彼ら自身を呼ぶ名称というのは、存在していなかったようです。
また、そもそも彼らは様々な民族の複合体であり、言葉ひとつとっても17語族200ヶ国語があったといいます。
つまり本来彼ら全体をまとめて捉えること自体が困難で、ヨーロッパみたいな所を想像してもらうとイメージが近いようです。

そういう訳で、ここでは余計な問題をもたらしそうな「ネイティブ・アメリカン」よりは「インディアン」の方を使わせて頂きます。




▲このページの先頭へ戻る
 戻る ▲トップページ