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JULY:ローマの英雄ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)の誕生月から

【異称】文月
中国では古くから7月7日に書物の虫干しをする行事があり、わが国に入ってきて「文開く月」となり、それが「ふみつき」になった。
また稲穂が目立つ時期から「穂見月」という説もある。

【誕生石】ルビー
ルビーはコランダムのグループに属します。
クロムの混入で赤く発色したコランダムがルビーです。
もっとも高価だとされるのは、ピジョンブラッド(鳩の血)といわれる、少し青みを感じさせる色をしたルビーです。
また、内包された微細なルチルのため、6条の光を放つスタールビーなども希少性があり評価されます。

【誕生花】ユリ、リシアンサス

【草木花】びゃくれん、水芙蓉、ほうせんか、蘭、さるすべり、松葉ぼたん、尺咲ダリア、ベゴニア

【青果】水蜜桃、あんず、スイカ、トマト、かぼちゃ、ナス、さやいんげん

【旬魚】うなぎ、やまめ、いぼだい

【時候の挨拶】盛夏、真夏、猛暑、灼熱、涼風、稲妻、打ち水、夕立、お盆、七夕、中元、蝉しぐれ、山開き


博多山笠(7.1-7.15)
博多祇園山笠は6月から準備が始まり、7月1日の飾り山公開で一般の人の目にも触れるところとなります。
その後の主な行事は
 9日 お汐井取り
箱崎浜で各流れのかき手が清めの砂を採り体に掛ける

10日 流れがき
町内をかき山が走り回る

11日 他流れがき
他の町内まで行く

12日 追い山慣らし
追い山のリハーサル

13日 集団山見せ
かき山が博多の町から福岡の町まで来て市役所前に集結

15日 追い山
櫛田神社を出発した各かき山が博多の町を競走して走る

現在、博多の山笠は、飾るだけで動かない飾り山と、装飾がシンプルで走るかき山とに分かれています。
もとは一つだったのですが、明治時代に電線が張られるようになって、大きな飾り山でそのまま町中を走ることができなくなってしまったために、このような形になりました。

追い山はひとつの山笠がギリギリで通れるような非常に狭い道を走り抜けて行くので同時スタートではなく時間差スタートしてタイムを競う形になっています。
スタートは基本的には早朝5時なのですが、実際には最初にスタートする一番山笠は4時59分にスタートします。
これはこの一番山笠が櫛田神社の中で、博多祝い歌を歌うことになっているので、その分の1分が引かれている為です。
その後は5時5分、10分、15分、と5分おきにスタートします。
そして最後に一つだけ、櫛田神社のすぐそばの上川端町の飾り山笠だけが特例で櫛田神社の境内のみを走ります。現在唯一の「走る飾り山」です。

山笠が始まったのは仁治2年(1241)とされています。
この年はやっていた疫病を鎮めるため、承天寺の聖一国師という人が施餓鬼棚にのって市内を回ったとされ、これが山笠の起源ということになっています。
このため追い山のコースはわざわざこの承天寺の前まで行ってから博多の町を走り始めるようになっています。

なお、博多というのは福岡市の那珂川から東側の地区のことで、古くから商人の町として栄えました。
この博多と黒田52万石の城下町福岡とが合併して福岡市が作られたのです。
この時両者で新しい市の名前についてもめた末、市の名前は福岡にするが国鉄の駅の名前は博多にすることで合意しました。

櫛田神社はこの博多の総鎮守。
御祭神は大幡主神。元々は伊勢国の櫛田にある櫛田神社から勧請されてきたもので、大幡主神というのはちょっと複雑な神様なのですが、地元では一般に櫛田姫のことと考えられていて、櫛田姫の夫の須佐之男命も相殿に祭られています。

古事記の須佐之男命が櫛田姫を八俣大蛇(やまたのおろち)から救った神話は有名ですが、須佐之男命は通常牛頭天王と同一視されています。
牛頭天王は祇園社(八坂神社)の御祭神で、一般に疫病を管理するものとされています。
恐らくは須佐之男命は本来はそのためにここに祭られたのではないかと推測されます。
しかしどこかで櫛田社−櫛田姫の連想があったものと思われます。

この山笠の期間中、山笠の世話をする人たちにとっては山笠の法被が正装ということになります。
そこでこの期間この人たちは堂々とこの姿で会社に行き、また商談などにも法被姿で出かけます。


祇園祭り(京都市・八坂神社 〜31日)
祇園祭(ぎおんまつり)は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。
貞観年間(9世紀)より続く。
京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭であるが、そのなかでも「宵山」(7月14日〜16日)、「山鉾巡行」(7月17日)、「神輿渡御」(7月17日)などがハイライトとなっている。
宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名がある。
また、山鉾巡行ではさまざまな美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、動く美術館とも例えられる。

京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの1つに数えられる。
また、岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに、前述の高山祭、滋賀県長浜市の長浜曳山祭と並んで日本三大山車祭の1つにも数えられるなど、日本を代表する祭である。

疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。
しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。
869年(貞観11年)、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来の化身・牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその起源であるという。
祇園祭が生まれた直接の背景は、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、建都による人口の集中、上下水道の不備(汚水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと。
その原因が、先に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったこと、などである。
さらに、1世紀後の970年(安和3年)からは毎年行うようになったとされる。
これらの祭式は神仏混淆の儀式として成り立っていた。

中世の一時期、八坂神社は北野天満宮と共に比叡山の支配下に置かれた時期があった。
この時期、八坂神社は日吉神社の末社とされ、日吉神社の山王祭が行われない時に祇園祭が中止になったり延期になる原因となった。

さらに室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。
その後、応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在でも続いており、1000年を超える歴史がある。
なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっている。

室町時代以来、祇園祭のクライマックスは山鉾巡行であったが、現在ではいわば「巡行の前夜祭」である宵山に毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多い。

ちなみに諺で時機を逃して用を成さないことを「後の祭り」というものがあるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになったとされる。
また、祇園祭は1966年(昭和41年)まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、「前祭」では豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、「後祭」では山鉾の数が少なく、小規模であることから、この諺が言われるようになったという説もある。

1962年(昭和37年)5月23日、山鉾29基が重要有形民俗文化財に指定された。

1979年(昭和54年)2月3日、「京都祇園祭の山鉾行事」が、重要無形民俗文化財に指定された。

2009年(平成21年)9月30日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会により、「京都祇園祭の山鉾行事」が、無形文化遺産に登録された。

祭礼などの行事が国の重要無形民俗文化財に指定され、それとともに屋台・山鉾などの用具が重要有形民俗文化財に指定されているものは日本全国で5例のみで、そのなかの1つが祇園祭である。

かつては、旧暦6月に行われていたが、現在ではグレゴリオ暦7月に行われている。
新暦移行後も後述のように日程の変遷があるが、以下に示すものは、2011年現在のものである。

7月1日 - 吉符入(きっぷいり)。祭りの始まり。

7月2日 - くじ取り式。下記参照。

7月7日 - 綾傘鉾稚児社参。

7月10日 お迎え提灯。神輿洗い。

7月10日〜13日 - 山建て鉾建て。分解収納されていた山・鉾を組み上げ、懸装を施す。 7月12日、鉾の曳き初め - 長刀鉾・函谷鉾・月鉾・菊水鉾・鶏鉾(四条通と室町通)

7月13日、鉾の曳き初め - 北観音山・南観音山・放下鉾・船鉾・岩戸山(すべて新町通)

7月13日 長刀鉾稚児社参(午前)。久世駒形稚児社参(午後)。

7月14日 - 宵々々山(この日から16日の宵山の深夜まで出店・夜店が立ち並ぶ)。

7月15日 - 宵々山。

7月16日 宵山。14日〜16日をまとめて「宵山」と総称することもある。宵宮神賑奉納神事。

7月17日 山鉾巡行。神幸祭(神輿渡御)。

7月24日 花傘巡行。元々、この日に行われていた後祭の代わりに始められたもの。還幸祭(神輿渡御)。

7月28日 - 神輿洗い。

7月31日 - 疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)。祭りの終わり。


祇園例大祭(福岡市・櫛田神社 〜15日)


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ





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