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8月15日 終戦記念日、刺身の日、お菓子の日(毎月)

花ノ名前      花ことば            誕生花として
オリーブ      平和               ○
エリンギウム    光を求める・秘めた愛・無言の愛  ○
オクラ       恋によって身が細る        ○
チョウジ      威厳               ○
ヒマワリ      あこがれ・熱愛・あなたを見つめる
        愛慕・光輝・敬慕・敬老の日・情熱・輝き○
ヒメヒマワリ    あこがれ・崇拝          ×

∞…∞ 8月15日・今日という日 ∞…∞

田口希正   (1991)  俳優
沼尻沙弥香   (1984)  タレント
中村剛也   (1983)  野球
林 剛史   (1982)  俳優
大橋未歩   (1978)  アナウンサー
秋山竜次   (1978)  タレント、ロバート
畠奈津子   (1978)  漫画家
山下 剛   (1978)  アナウンサー
菅原リサ   (1977)  体操
金城綾乃   (1977)  Kiroro、Key.
岩堀せり   (1977)  モデル
赤いプルトニウム   (1977)  タレント
川口能活   (1975)  サッカー
ネボイシャ・クルプニコビッチ   (1973)  サッカー
李 鍾範 (リー・ジョンボム)   (1970)  野球
遠藤雅大 (遠藤昌浩)   (1970)  サッカー
保坂和拓   (1967)  アナウンサー
青木達之   (1966)   東京スカパラダイスオーケストラ
石丸幹二   (1965)  俳優
麻生祐未   (1964)  女優
中村光一   (1964)  チュンソフト社長、プログラマー
椿 鮒子   (1964)  タレント
本田多聞   (1963)  プロレス
陳 義信   (1963)  野球
宇梶剛士   (1962)  俳優
愛甲 猛   (1962)  野球
山崎一夫   (1962)  プロレス
大八木淳史   (1961)  ラグビー
サンプラザ中野   (1960)  爆風スランプ、Vo.
山下和美   (1959)  漫画家 「天才柳沢教授の生活」
高望山大造   (1957)  相撲
藤井丈司   (1957)  作曲家
風祭ゆき   (1953)  女優
渥美二郎   (1952)  歌手
目黒祐樹   (1947)  俳優
安斎勝洋   (1945)  開運アドバイザー
シルヴィ・バルタン   (1944)  女優
かとう哲也   (1941)  作曲家
ニコラス・ローグ   (1928)  映画監督
村木与四郎   (1924)  映画美術監督
内村直也   (1909)  劇作家
吉田一穂   (1898)   詩人
三木武吉   (1884)  政治家
太刀山峰右衛門   (1877)  相撲
長岡半太郎   (1865)  物理学者
杉山茂丸   (1864)  政治家
高島秋帆   (1798)   砲術家
ナポレオン・ボナバルト   (1769)  フランス皇帝
山東京伝   (1761)  作家
山中鹿介   (1545)  武将

 ○ 江戸市中に火の見やぐらの制、定まる(1723)
 ○ 阿蘇山、噴火(1786)
 ○ 蝦夷、北海道と改称(1869)
 ○ キャンディーの製造、はじまる(1899)
 ○ 与謝野晶子の「みだれ髪」刊行(1901)
 ○ 太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河開通(1914)
 ○ わが国初のオリンピックメダル種目はテニスで、銀メダル(1920)
 ○ 出征兵士の歓送迎、防空演習、勤労奉仕、生活必需品の配給など、戦争への国民の総動員をはかる目的で回覧板、登場(1939)
 ○ 太平洋戦争、終結(1945)
 ○ インドが英国から独立(1947)
 ○ 大島渚監督「愛のコリーダ」わいせつ起訴(1977)
 ○ 宮城県でわが国初の凍結卵子の体外受精成功(1991)

終戦記念日,敗戦記念日
1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。
これにより第二次世界大戦が終結した。
内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人。

月遅れ盆
新暦となり季節感がずれたため1月遅らせたもの。

戦歿者を追悼し平和を祈念する日
1982年4月の閣議決定により制定。
この日に太平洋戦争における全戦没者に対して国を挙げて追悼の誠を捧げるとともに平和を祈念するため、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われる。

聖母(聖マリア)被昇天祭
イエス・キリストの母マリアが人間としての原罪をもたず、死後は肉体のままこの日に昇天したとされているのを記念する日。
マリアは処女懐胎、童貞無垢の聖母としてキリスト教聖人の中で最高位の聖人とされている。

刺身の日
1448(文安5)年、刺身が初めて文書に登場した。
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に鯛なら鯛とわかるようにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起りとあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされている。

パナマ・シティ創設記念日(パナマ(首都のみ))

解放記念日(北朝鮮)

母の日(コスタリカ)

光復節(韓国)
韓国の4つの国慶日(国家の慶事を記念する日)の一つ。
1945(昭和20)年、日本の敗戦により、朝鮮が日本の統治から解放された。

VJデー (イギリス,アメリカ)
VJはVictory over Japanの略で、対日戦勝を記念する日。
時差の関係でアメリカでは8月14日となります。

独立記念日(インド)
1947(昭和22)年、前日のパキスタンに続いてインドがイギリスから独立しました。

素堂忌
俳人・山口素堂の1716(享保元)年の忌日。


太平洋戦争終結(1945)
1945年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に日本が戦争に負けたというお知らせを流しました。
一般にこれを太平洋戦争の終結として、この日を終戦記念日としています。
ポツダム宣言は7月26日に発表されました。
これに対して、日本はいったんこれを「黙殺する」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう依頼します。
ところがこの「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道されてしまい、8月6日広島に原爆投下。
斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条約を破って9日参戦。
この日長崎にも原爆投下。
この9日頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言受け入れを主張する東郷外相らに対して阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず深夜昭和天皇の判断を仰ぐ。
天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言い、このままでは日本という国がなくなってしまう。
ここは忍び難きを忍んで降伏するしかない、と補足します。

10日この方針を連合国に通知。するとその返事が12日あり、「降伏のときより天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」。
この条項を巡って再び抗戦派がこれでは国体の維持ができないと反発、再び紛糾。
しかし紛糾している内に連合国は14日、日本に通知した内容を明記したビラを飛行機から撒いた。
慌てた政府は再び天皇のご意見をお伺いしたいと連絡、10時再度の御前会議。

「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この降伏によって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば再生は可能だ。しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてしまう。明治天皇が涙を呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分かるようだ。私がすべきことがあれば何でもする。国民に私が呼びかけるのがよければすすんでマイクの前に立とう。将兵には動揺があるだろうが必要なら自分が説得に当たる。詔を出す必要があるだろうから政府は早速起案して欲しい。」

阿南陸相が泣いていた。
天皇は彼に優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ。きっと何とかなる」

午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。
「重大な録音があるので」としか言われなかった。
最新式の録音機を2セット持って宮中へ。
録音は2台の録音機で同時に行った。
念のため2回取ったので計4組の玉音盤ができる。
録音作業は午後11:25頃から15日1:00頃までかかった。
これは皇后官職事務官室の金庫に収められた。

録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束監禁した。
終戦に反対する反乱軍であった。
午前2時から3時頃にかけて反乱軍が皇居を占拠、玉音盤を探すが見つからない。
まさか女官の部屋にあるとは思わなかったためである。
更に午前4時頃、反乱軍は放送会館をも占拠する。

午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。
5時半、阿南陸相が自殺。
8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。
8時半、玉音盤が搬出され放送会館へ。
この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け入れの報が書かれていたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。

午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが取り押さえられる。
正午。
時報に続いて「ただ今より重大なる放送があります」と和田信賢アナウンサーの声。
この日は通常昼間の送電がストップされていた地方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。

君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。。。」
天皇の肉声が流れた。

涙を流す者あり、自刃する者あり、この日日本は天智天皇の白村江の戦い以来の敗戦というものを味わいました。
しかし天智天皇がその敗戦の後で日本の基礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネにして日本を真の超大国へと成長させていきます。
日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。
この数字がどの程度の真実を伝えているのかは分かりませんが。。。
合掌。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ



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