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9月14日 メンズバレンタインデー(日本ボディファッション協会1991)
     コスモスの日、セプテンバーバレンタイン

花ノ名前      花ことば            誕生花として
シュウカイドウ   片思い              ○
アザミ 権威・触れないで・独立・厳格・復讐・満足・安心○
アスター(白)   追憶               ×
フシグロセンノウ  転機               ○
マルメロ      魅惑・魅力・誘惑         ○

∞…∞ 9月14日・今日という日 ∞…∞

高橋 愛   (1986)  タレント、モーニング娘。
上戸 彩   (1985)  女優、タレント
成宮寛貴   (1982)  タレント、俳優
西野泰正   (1982)  サッカー
安達祐実   (1981)  女優
seek   (1979)  Psycho le Cemu、Bass
石井弘寿   (1977)  野球
松来未祐   (1977)  声優
本郷宏樹   (1976)  野球
上川敦志   (1975)  漫画家 「ロボットボーイズ」
岡沢高宏   (1975)  モデル
O-JIRO   (?)  PENICILLIN、Dr.
中村獅童 (二代目)   (1972)  歌舞伎役者
小島 聡   (1970)  プロレス
円谷憂子 (円谷優子)   (1970)  タレント
小栗香織   (1970)  女優、タレント
近藤敏信   (1969)  イラストレーター
吉田修一   (1968)  作家
小柳友貴美 (小柳みゆき)   (1968)  タレント
トロイ・ニール   (1965)  野球
田口禎則   (1965)  サッカー、さいたま市議
GAO   (?)  歌手
調 先人   (1963)  ザ・ハイロウズ、Bass
福澤 朗   (1963)  アナウンサー
福山芳樹   (1963)  歌手
駒田徳広   (1962)  野球
パッパラー河合   (1960)  爆風スランプ、G.
きうちかずひろ   (1960)  漫画家
水野 要   (1954)  競艇選手
安部修仁   (1949)  吉野家D&C社長
矢沢永吉   (1946)  歌手
茅島成美   (1942)  女優
レンゾ・ピアノ   (1937)  建築家
赤塚不二夫   (1935)  漫画家 「天才バカボン」
国松 彰   (1934)  野球
林 成年   (1931)  俳優
続 訓弘   (1930)  政治家
近藤弘明   (1924)  画家
イベット・ジロー   (1916)  シャンソン歌手
中村伸郎   (1908)  俳優
薄田研二   (1898)  俳優
桜間道雄   (1897)  能楽師
マーガレット・サンガー   (1846)  受胎調節運動家
イワン・パブロフ   (1849)  生物学者

 ○ 津田梅子、女子英学塾(現津田塾大学)を開校(1900)
 ○ ロシア、共和国となる(1917)
 ○ キャスリーン台風、関東に来襲。東日本や北海道にも大きな被害。死者・行方不明者1529名(1947)
 ○ 都内6000軒の露店廃止決定(1949)
 ○ 「二十四の瞳」封切り。木下恵介が監督。主役の女教師役には高峰秀子(1954)
 ○ ソ連の無人探査機ルナ2号月面に到達(1959)
 ○ 女優からモナコ王妃に昇り詰めたグレース・ケリー、事故死(1982)
 ○ 長野県西部地震(1984)

十字架称賛の日
320年ごろ、ゴルゴダの丘でキリストが磔にされた十字架を聖ヘレナが発見した日とされる。
335年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスがこの聖地に十字架聖堂と御復活聖堂を建設した。
聖十字架はペルシア王がエルサレムを占拠した時に奪われたが、後に皇帝ヘラクリウスが奪回した。

セプテンバー・バレンタイン
ホワイトデーから半年目にあたり、今度は女性から別れ話を持ち出してもよい日、らしい。

メンズ・バレンタインデー
日本ボディファッション協会が、女性の下着市場の活性化を目指して1991年(平成3年)より展開している日。
男性の側から積極的に愛を仕掛ける日をうたい文句に「男性が女性に下着を贈る日」としてキャンペーンを行っている。
9月14日はホワイト・デーから半年後という理由から。

コスモスの日
プレゼントにコスモスを添えて交換し、お互いの愛を確認しあう日。

サン・ハシント戦記念日(ニカラグア)



春日局
寛永20年(1643)9月14日、将軍家光の乳母で、江戸城大奥の整備者である春日局が亡くなりました。

春日局の本名は、斎藤福です。
天正7年(1579)美濃国に生まれました。

父親は明智光秀の一番の重臣・斎藤利三で、光秀が山崎の合戦で羽柴秀吉に負けた時に捕らえられ、六条河原で処刑されて粟田口に首をさらされました。
そのため、お福は豊臣の時代には逆賊の娘として、不遇な少女時代を送ります。

ところがその豊臣が倒れて徳川の天下になりますと、敵の敵は味方ということで一転して明智の家臣に光が当たります。
しかも彼女は一度天然痘をやってアバタ顔であったため、天然痘に免疫のある女として、家光の乳母には最適ということになったのです。

さて、家光の父は2代将軍・秀忠、母は淀君の妹・浅井江与です。
二人の間には最初男の子が生まれ、続いて竹千代(家光)が生まれるのですが、竹千代が生まれた途端、最初の男の子が死んでしまいます。
すると両親としては、竹千代が生まれたために上の子が死んだような気がして、どうも竹千代に対して愛情を注ぐことができませんでした。

そうこうする内、お江与はまた男の子・国松(後の徳川忠長,時代劇でおなじみ松平長七郎の父)を産みます。
すると今度はこちらが死んだ子の生まれ変わりのような気がして、両親の愛は国松一人に集中することになるのです。

そのため、江戸城ではなにかと国松が大切にされ、竹千代はその次にされていました。
そういう両親の態度を見たお福は、このままでは世継ぎは竹千代を差し置いて国松になってしまう、と危機感を覚え、駿府に隠居中の家康に直訴することを考えます。
しかし当時はもう入鉄砲・出女の規制の掛かっていた頃で、女性が勝手に江戸を出ることは不可能でした。

そのため、彼女はお伊勢参りに行くという口実を思いつきます。
そして江戸を出るとそのまま家康の所へ駆け込みました。
話を聞いた家康はすぐに行動を起こします。

突然の大御所の来城に秀忠は慌てます。
とにかく上座を勧めて、挨拶など交わすのですが、「孫の顔が見たくなってのう」などと家康はとぼけた顔で言います。
そこで竹千代と国松が呼ばれるのですが、家康は竹千代に「こちらに来なさい」と言って呼び寄せ、隣に座らせます。
すると国松も一緒に側に寄ろうとしますが、ここで家康厳しい言葉を投げます。

「長幼の儀礼をわきまえないとは何事か。竹千代殿は兄、世継ぎとなる身、国松殿は弟、臣下となる身であろう。同列に並ぶことは許さぬ」と。

そして家康は畏まる秀忠に笑顔で一言声を掛けるのです。
「ほんに竹千代殿はよい将軍になられるであろうのう」。

この家康のまさに鶴の一声により、将軍家を継ぐのは竹千代と決定したのです。

このことによりお福は家光の深い信任を得、やがて元和9年(1623)に家光が将軍に就任し、寛永3年(1626)にお江与が亡くなると、大奥を一手に任されることになります。
そして江戸時代の大奥のいろいろな組織は、このお福の時代に定まることになります。

ところで家光の妹の和子(まさこ)は元和6年に後水尾天皇に嫁いでいました。
これを気遣っていた家光は寛永6年、お福を自分の名代として京都に派遣し、様子をうかがわせました。
しかし本来はお福は無位の身。
天皇の女御に面会できる地位ではありません。
しかし家光は将軍家の威光をかさにこれを強行。
お福を三条西実条の仮の妹ということで宮中に入れました。

これに対して天皇はお福に「春日局」の称号を与えますが、天皇家の力の無さを実感して無気力に陥り、和子の娘・興子内親王に譲位して、859年振りの女帝(明正天皇)が誕生します。


で〜〜〜す。よろしく(^ー゚)ノ




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